中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

令和3年度

第28回「高校生によるSDGsに関する感想文コンテスト」 特別賞(山口ロータリークラブ会長賞)

SDGsの達成に向けて出来ること

六年制普通科2年 村上 翼紗

 最近、テレビや学校でSDGs(持続可能な開発目標)について触れることが多くなっている。2021年を生きる私たちにとってSDGsは無視することのできない課題となっているのだ。
 私自身SDGsについて学んだり考えたりすることが増えてきたと感じる。今年7月、部活動でSDGsについて話し合う機会があった。県内や県外の高校生、大学生とオンラインでSDGsについて考えグループに分かれて話し合うというイベントだ。その時、一番初めに聞かれたことは、
「10年後、今住んでいるところに住んでいると思いますか。」
だ。私はすぐに答えた。「いいえ。」と。交通の便は悪く、大きなショッピングモールはない。買い物をしようと思っても欲しいものを売っているお店が近くに無い。不便なことばかりだ、と感じていたからである。その他にも大学を卒業して就職するとなったら都会がいい、都会に住んでみたいという都会への憧れがあった。他の人たちも理由は様々だが10年後、今住んでいるまちには住まないと思うという人が多かった。私はこの時、住んでいるまちの悪いところばかりが思い浮かんでいた。良いところなどない。都会の方が絶対良いに決まっている、そう思っていた。
 次に、「住みやすい街とはどんなまちですか。」と聞かれた。「交通の便が良くて、近くに買い物ができる場所がたくさんあるまち」私はそう思った。特に交通の便の良さはとても大切だと思う。車が運転できれば良いが私たち高校生はそれが 不可能である。移動手段は電車かバスになってくる。そうであるにもかかわらず電車やバスは1時間に1本しかなく、私がたまに利用するバスは1日に4本しかない。この意見には多くの人が共感した。やはりいなかは住みづらい。今後人々が住み続けていくのは難しいだろうと感じた。話し合いを進めていくと私たちのグループはいなかの良さについて話し合うことになった。「自然がとてもきれい」「静かで穏やか」など様々な意見が出る中、私は「地域の人同士のつながり」と答えた。私の住んでいた所は数年前、1か月以上断水したことがある。その時に地域の人たちと協力し合った。
「うちでは井戸水が使えるから洗濯物があれば洗うよ。」
「水は重たいから私が代わりに汲んでくるよ。」
など周りの人たちと協力し。一か月を超える断水期間を乗り越えていた。この話をするとグループのメンバーに
「そんなことがあったんだ。都会に住む私には考えられない。田舎ならではの良いところだよ。」 と言ってもらえて嬉しかった。私の住むまちの良いところに気づくことができたのである。もちろん私の住む地域はその断水期間だけでなく普段から協力しながら過ごしている。地域の祭りや 子供たちの見守り隊など子供からお年寄りまで全員が交流を深めながら生活している。これは都会ではできないことである。当たり前だと思っていたことが他のところから見るとそうでなく、またそれが生活していく上でとても大切なことであった。
 人々が今住んでいるまちに住み続けるには交通の便の問題などがかかわってくるかもしれない。しかしそれらは私たちにはどうしようもできない問題である。それとは違い「人とのつながり」は私たち自身で築くことができる。今住んでいるところに良いところなどないと思っていたが、今まで人々が住み続けているのである。住み続けられる何かしらの良い理由があるのだ。それらを発見し、今度は私たちが住み続けられるまちをつくっていかなければいけないと感じた。
 SDGsは自分たちとは関係の無い話、気にしなくても良いと感じる人もいると思うがそんなことはない。身近なことだ。実際、私もこのイベントで初めにされた質問がSDGsにつながっているとは思っていなかった。普段の日常会話に出てくるような質問だったからである。難しく考えなくても今ある、周りの環境などから自分なりの意見、解決方法が見つかる。それらを自らが実践していき、2030年、SDGs17の目標を達成したい。

2021年度 高校模擬国連国際大会への第15回日本代表団派遣支援事業 報告書
六年制普通科3年 丸小野 成輝・森脇 優

六年制普通科3年 丸小野 成輝

 この報告書では、まず、今回の大会参加においての難所を述べ、その後、それらを踏まえたうえで今回私が得た成長や気づきなどについて、例年と今年、そして日本と海外の比較を交えながら記していこうと思います。
 今回の高校模擬国連国際大会には例年とは異なる様々な困難がありました。以下にそれらの内で主な四つを選んで述べていきます。
 一つ目は、時間制限です。現状のCOVID-19の蔓延もあり、国際大会への参加の有無も定まらない中で決まったオンライン大会への参加でしたので、準備期間も約1か月程度とかなりの過密スケジュールとなっていました。特に、私たちの担当したSOCHUM(GA3)は肥満と低栄養を包括した栄養失調全般について、新技術による解決策を議論する、というものでした。この議題の解決は基本的にすべての国に利するものであり、扱う論点への制限もゆるく非常に広範な議題となっておりました。したがって、対立軸に基づいた議論の展開予想を立てることは難しく、予想される議論の流れ・分岐とそれに対する対応を整理したフローチャートを仕上げるというのも現実的ではありません。つまり、議論をいかに掌握し誘導するかというのが肝になっていたように思います。
 二つ目は、会議が行われる時間帯が深夜だったことです。もちろん、例年もニューヨークで行われ、それに合わせて生活リズムを変える必要はあったでしょう。しかし、現地とオンラインでは決定的な違いがあります。現地では昼夜と太陽の位置が対応していますが、オンラインでは「朝」に太陽が沈み、「夜」に太陽が昇るのです。したがって、いつ寝て、いつ起きればいいのかという直感的な感覚を得ることができなかったのが難しい点でした。
 三つ目は、全日本大会と国際大会の会議進行に大きな違いがあったことです。全日本大会にはない、「クライシスモード」というフェーズが国際大会にはありました。これは恐らく各グループとそのリーダーが決まり、各国の立場関係が固まってしまったところに、中心となる大使が巻き込まれる事件を設定して、通常会議を中断してその事件についてその時に限り話し合わせるという、議論の活性化と対応力の評価を目的としたものだと考えられます。国際大会では恒例であろうこのクライシスモードというのが全く予期していないものだったため、どう対応していいのかわからなかったというのが大きな課題でした。
 そして四つ目は、英語です。もちろん母国語でない英語での議論が負担を要するものではありますが、何よりも、英語での議論というのが向こうの土俵で戦っている、いわゆる「アウェイ」な感覚を生じさせてしまいました。それによって全日本大会で発揮できたような自信を伴った姿勢を保つことができませんでした。
では、これらを踏まえ、今回得られた気づきについて述べていきます。まず、日本と海外の模擬国連を含む国際的な問題との距離感の差や意識についてです。模擬国連全日本大会においては、国連の形式に則った規則と特殊な評価基準はありますが、海外派遣選抜の意味合いもあって、殊更ディベートの競争という側面が強いように思います。したがって、国連を「模擬」し、実際に国際的な解決法を国家同士で提案、交渉、妥協しながら探っていき、策定していくというよりも、いかに自らの政策を通し、リーダーシップを奪取し、そして会議でどう評価されるかというのが重視されているように思います。これは、模擬国連自体のコミュニティが小さく、そして全国から選りすぐりの生徒が集まった大会であり議論の水準が高いことにも起因すると思います。多くの大使はリーダーシップをとる大使に付き従い、時には属国であるかのような行動をとる姿も多々見受けられました。結果的に、リーダーとなった大使を中心に議論が行われる傾向が極めて強いように思います。
 逆に国際大会においては、議題が協力を促すものであったこともあると思いますが、リーダーという立ち位置はあまり意味をなしておらず、それぞれの国が対等に意見を出し合い、より協力的にことを運んでいっていました。ただし、クライシスモードでは特定の国家への糾弾や陣営対立があり、そこで二極型の討論という形式も取り入れているように感じました。また、決議案の作成は日本よりもスムーズで、かつ各項目の洗練度がかなり日本のそれよりも高い印象を受けました。特にこの点で、日本よりも欧米の方が国際的な問題を議論することが身近なものになっている、つまり模擬国連自体の認知度が高いという違いを痛感いたしました。
 日本の大会は議論の激しさに、他方、国際大会は「模擬国連らしさ」に優れており、一長一短でどちらにも面白さがありました。しかし、昨今インターネット上で広がっている偏ったものの見方を鑑みると、より国際的な視点が日本人にとってより身近になれば、世界を知ることができ、世界と日本の違いを意識することで初めて、自国日本とそれへの帰属意識をより多角的に見つめることができるだろうと思い、そのような社会を実現するのは自分たちなのだと身の引き締まる思いがしました。
 次に、勇気というものは何を成すにも必要不可欠なのだと痛感しました。国際大会の最中、眠気と緊張、不安が重なり、最初は空回りしてしまい、思うように参加することができませんでした。ここであきらめて観客に徹することもできました。しかし、安易に逃げるという選択肢は私にはありませんでした。そこで、協力的な雰囲気のグループの中、まずテキストメッセージを使って意思疎通をはかりました。そして徐々に声も交えながら、意思疎通が円滑になるように慣らしていきました。この「テキスト」という初めの一歩が、次の一歩を踏み出す慣性になったのです。この初めの勇気の大切さを知ったことは大きな収穫となりました。
 将来、私は医師として多くの人々を救っていきたいと考えています。その道中、私は多くの困難や不安、逆境に立ち向かうことになるでしょう。しかし、私はどんな状況にもそれを打開する可能性が存在すると信じていますし、信じるほかありません。その仮定の下で、可能性をつかむのに第一に必要なのは現状から抜け出す勇気です。第二に、勇気で作り出した機会を逃さない実力です。実力とは必ずしも自然科学についての能力のみを意味しません。研究医にせよ、臨床医にせよ、人間を相手にする以上、人文科学、社会科学、自然科学を問わず、国際的視かつ地域的視野で総合的に考察する力が、そして書ききれなかったほどの今回の収穫が必ず役に立つと考えています。これからも新たな挑戦へ勇気をもって進んでいきたいと思います。

私の能力を超えた高嶺の花六年制普通科3年 森脇 優

 この度、15期生派遣団の一員として国際大会へ出場させていただき、感謝申し上げます。前回の14期派遣団の中止や新型コロナウイルスのパンデミックにより、先行きが不透明な中、一時は開催されるのかという不安すら抱いていました。国際大会に参加できるのだろうかと半ば諦めていましたが、最終的にオンラインという形で無事に開催されたことを嬉しく思います。オンライン開催の一報を受け安心した半面、基本調査からポジションペーパー作成までが1か月半という、例年にないタイトなスケジュールに驚かされました。しかし、またとないチャンスを逃すまいと必死にペアとリサーチを進めていきました。グローバルクラスルームの研究担当の方々からの的確なアドバイスは、準備を円滑に進める一助となりました。この場を借りて感謝申し上げます。

 私たちの議場の議題は「Promotion of New Technologies to Fight Malnutrition」(「栄養不良に対処するための新技術の促進」)で、担当国はインドでした。SDGsがしばしば取り上げられる昨今、フードロス削減のために家庭でも心がける等、意識の面で考えたことはありましたが、技術面での解決策を考えたことはなく、非常に興味深い反面、議論する上では難しい議題であるというのが私の第一印象でした。全日本大会は、どちらかといえば競技色が強く、対立型の議論だったので、イラン大使として、ペアの連携を通じて、議題である宇宙利用に関するスペースデブリ削減に対して国益を通すことを念頭に置き、一国の大使を模擬するという理想的な行動をとることができました。しかしながら、国際大会は打って変わって他国の出したアイデアを否定することなく、むしろ提案された政策の可能性を拡大させるという、いわば協調性が必要とされる議論だったため、これまでに日本で経験した模擬国連大会との違いに最初は違和感を覚えました。実際のところ、大使や議長はアイデアを採用しようと親身になって聞いてくださったため、私たちの議場では目立った対立軸も存在しませんでした。会議中の柔和な雰囲気は、ネイティブに比べて英語が上手ではない私の意見や主張を聞き入れてもらえるのだろうかと怖気づいていた私の緊張を解いてくれ、積極的な発言にもつながっていき、インドの主張の根幹であった「食糧問題対策アプリ(No Food Waste)」を決議案の中に取り入れてもらうことにも成功しました。中には会議行動に際してフォローしてくれた大使もおり、助け合いの精神を持ち合わせた紳士的態度は、平和構築を目指す国連という大きな組織を動かしているのだと実感できるほどでした。私を唯一悩ませたのは、アメリカとの時差でした。日本時間で午後11:00から午前6:00が会議の時間だったので、まさしく昼夜逆転となり眠気と戦わなければならず、相当苦労しました。

 第13回全日本高校模擬国連大会にも参加しましたが、やはり、対面とオンラインとでは大きく違います。話す相手が目の前にいれば、表情や声色、態度で相手の意図していることが予想でき、動きもとりやすいのですが、オンラインはそのような利点がありません。また、時々不安定になるインターネット環境により、一定時間会議から抜けたりするなど様々な不便が生じ、新たに戦略を練るのにも苦労しました。何よりも、対面で他校の参加者と会えないため、対面開催であれば築けていたであろう今後に続くネットワークが築けなかったことは私にとって非常に残念でした。(事実、報告書執筆段階では、共に派遣事業に参加した他校の参加者とは一度もお会いすることは出来ていません。)

 振り返れば中学1年生の時、校内で模擬国連の説明会に参加し、「高校生になったらこんな大会があるから参加してみないか」と担当の先生に誘われ、それから5年の歳月が流れました。中学校のうちは「模擬国連=私の能力を超えた高嶺の花のようなもの」という認識で、初めて模擬国連大会に参加した時は議論についていくのが精一杯でした。次第に議論を楽しむ余裕も生まれ、参加する回数を重ねるごとに自らの成長を実感できる良い機会となり、毎回私に新しい発見を与えてくれました。そして、今回の国際大会に出場できたように、英語で相手の政策や意見に耳を傾けたり、政策を伝えたりできるまでに成長できたと感じています。
 模擬国連に取り組んだ高校の2年間を通じて学んだ教訓は、「感謝」です。ここでいう感謝は2通りの意味があります。1つは、不自由ない生活を当たり前に享受できていることに対する感謝です。会議のリサーチ段階で、日本では考えられないような課題に直面している世界の国々の現状を改めて知ることが多く、日本という比較的安全な国家で友達や家族と楽しく暮らせていることのありがたさを再認識しました。もう1つは、まわりの人の支えに対する感謝です。今回、国際大会での受賞に至ったのは、ペアはもちろん、アドバイスをしてくださったグローバルクラスルームの皆様、先生方や家族、過去にともに模擬国連大会に参加した同級生など、様々な人から多くのサポートがあったからだと思います。国際大会を終え、高校での模擬国連活動に節目を迎えた今、次は受験勉強に打ちこむことになりますが、忙しい時にこそ忘れてしまいがちな「感謝」の気持ちを忘れずに邁進していきたいと思います。

第68回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」

趣 旨
「第68回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」は、高校生に対し、国際連合についての主張を通して、国際理解・国際協力について考える機会を提供するという趣旨の下、下記3つのテーマいずれかについて、自分の考えを根拠とともに主張し、その中から説得力と新しい発想力を評価し、優秀な主張を表彰するものです。

応募テーマ 及び 題目
1.日本や日本人は、国連を始めとする多国間主義の外交を通じて、どのようにリーダーシップを発揮できるか。
2.日本における持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けて、私たちが国連とできること。
3.もし私が世界の問題を一つだけ解決できる立場にあったら、何を達成し、どのような世界にしたいか。

主 催:外務省、公益財団法人日本国際連合協会
協 賛:全国人権擁護委員連合会、株式会社 伊藤園
後 援:法務省、文部科学省、日本ユネスコ国内委員会、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟、NHK、公益財団法人安達峰一郎記念財団、国連広報センター

9月24日時点で「緊急事態宣言」発出中の為、今年度の第68回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」は原稿形式にて審査を行うことにしました。本年度は、全国から 432名の応募があり、予選を通過した 25名の中から受賞者が決まりました。

六年制普通科1年生の吉野悠太さんは、25名の中から、優秀賞6名の中に選ばれ、全国人権擁護委員連合会会長賞の栄誉に輝きました。

もし私が世界の問題を一つだけ解決できる立場にあったら、
何を達成し、どのような世界にしたいか。

六年制普通科1年 吉野 悠太

 突然ですが、私はこれまで、国連と自分とのつながりを実感したことがありませんでした。しかしだからといって、今世界が直面する問題に少しも関心がないというわけではありません。 世界中に飢餓に苦しむ人々がいる一方で、富裕国では食品ロスが起こる。プラスチックごみが及ぼす深刻な海洋汚染。温室効果ガスの排出量をどう規制すべきか。人種差別やLGBTを巡る人権問題。そして圧政による内紛と自由を勝ち取るための闘争。マスコミが報じる情報を、私なりに理解しようと努めてきたつもりです。
 これらの問題は私たちが避けては通れない深刻なものだと思いますが、では、一体あなたに何ができるかと問われたら、どうにも返答に困ってしまいます。ですが、今はまだ無理でも、いつか必ず課題の解決に向けた私なりの貢献ができないかと考えていました。
 そんな私は、先日、弟からこんな話を聞きました。
 弟が幼稚園に通っていた数年前の出来事です。園児たちが言い争いを始めました。争いの原因はボールの取り合いだったそうですが、その争いの中で、
「黒人がボールを取るからいけないんだ」
という声が聞こえてきたと言います。
 その話を聞いた時、私は衝撃を受けました。
わずか六歳に満たない子どもでさえも、差別の言葉を知っているということ。勿論、無知ゆえの言動であったかもしれません。しかし、私は純真であるはずの子どもに宿った言葉そのものに恐怖を覚えました。
 そして、さらに驚くべきことがありました。この発言をした園児の親は、前もって我が子に「黒人に近づくと危ない」と言い聞かせていたというのです。社会と接する前に植え付けられた偏見は、それを自分では修正できない子どもには「正しいこと」として定着してしまいます。これほど恐ろしいことはないと私は思いました。
 その時初めて私は人種差別を、印象深い「事実」として認識できたのです。同時に、マスコミの人種差別の報道を、私は今まで対岸の火事のような気持ちで見ていたんだと初めて自覚したのです。
 これがきっかけとなって、今年の東京オリンピックも私は、競技に打ち込む選手たちの姿以上に、彼らが身を挺して行った差別反対の意思表示に注目していました。サッカー女子のイギリスとチリの代表選手が、片膝をついて人種差別への抗議を表明しました。日本のなでしこジャパンもこれに続きました。
オリンピックで際立ったのは差別問題だけではありません。亡命という手段で自国の圧政を批判したり、国籍を跨いだ難民の人生が明らかにされたり、まさに国連が抱える課題が大会を通じて露わになってくるようにも感じました。
 さて、これら一連の出来事から、今、一番解決したい世界の問題は人種差別であると、私ははっきり言うことができます。そしてそのためには、次世代を担う子供たちに、偏りのない、そして誰の目線から見ても公平な人権教育を推し進めるべきだと考えました。
 弟の幼稚園にいた園児のように、一度偏った考えを押し付けられ、それを信じ込んでしまったら、元の澄み切った白紙の心に戻すことは容易なことではありません。また、人種や民族の優劣について、他でもない、学校を通して今も子どもたちに教えている国もあります。
こういったことを今すぐにでも改め、国連はその政府に対して是正を勧告すべきです。SDGsは国連が掲げた目標ですが、多様性社会に基づく世界平和を実現することができないなら、この目標は永遠に達成できません。国連は、多様性社会の実現を妨げる最大の悪である人種差別を、徹底的に根絶すべきだと考えます。
 もし、国連の働きかけによって、世界中で正しい人権教育が徹底されたなら、次世代の子供たちは、私たちには思いもよらないような平和に対する持論を展開してくれるかもしれません。