中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

平成20年度

UNESCO 青年交流信託基金2009ユーススタディーツアーinカンボジア報告

感謝の心六年制普通科3年1組 兼森 葵

  私はスタディーツアーへ行く前に2つ抱負を掲げていました。
  1つ目は,カンボジアの歴史や文化の根底にあるものを感じることです。浅くではあるが現地の人の声を聞いて学ぶことができたので,本には載ってない,もっと貴重な,カンボジアの人々の中にある“歴史”に触れることもありました。その中で彼らの歴史の中だけでなく,国全体にポル・ポト政権の傷跡が未だに癒えぬ状態であるのがカンボジアの現状なのだというのを改めて実感しました。ありのままのカンボジアを自分の目で見て最も強く感じたことがあります。それは,“教育の大切さ”です。具体的には,“物事の善悪を自分で考え判断できる能力を養う教育”が重要だと感じました。カンボジアにおいての教育は,家庭の教育への理解が鍵を握っています。教育よりも家庭のために働き,生活のために稼ぐという考えが貧困層を中心に根深くあり,富裕層しか教育は受けられません。教育格差を無くし,貧困の悪循環を断ち切れる力が教育にはあります。だから教育の大切さを貧困層の家庭へ広めていく必要があります。
  2つ目は,笑顔の輪を広げることです。現地の人とは言葉が通じませんが,笑顔は世界共通のものです。今回現地の子ども達との交流があったのですが,そこで強く実感しました。笑顔には絶大な力があり,笑顔は世界共通語のようなものだ,と。子ども達が住む村の様子を見ても,決して満足のいく状態ではないと始めは感じました。しかし子ども達の笑顔を見て,彼らからしてみれば,村での生活が彼らにとって普通のことで,満足・不満足の問題ではないことが分かりましたし,彼ら自身は幸せそうでした。そう思うと,心の底から笑顔になれる自分がいました。大きく笑顔の輪が広がったと感じた瞬間でした。
  私の中で,スタディーツアーの抱負は達成できたと思っています。次にまた新たな抱負を掲げるならば,“見てきたこと感じたことをできるだけ多くの人に伝え,現代の日本に生まれたことがいかに恵まれたことであるかを考えてもらうこと”です。この抱負を掲げたきっかけは,スタディーツアーの事前研修で日本ユネスコ協会連盟の副会長がおっしゃった「世界が平和になる方法をみなさんなりに探してください」という言葉です。現代の日本にはカンボジアとは異なった様々な問題があります。日本には物が満ちあふれ,物質的に不自由は少ないけれど,どこか精神的な面で欠落している所があると皆感じています。このことは他の先進国にも言えると思います。
  欠落した部分を補うのに必要なものとは“恵まれた環境に生まれたことに感謝すること”だと私は思います。人は環境を選んで生まれてくることはできません。だから世界には戦地に生まれる子もいれば平和な国に生まれる子もいます。このことを考えたら,死と隣り合わせの生活をしなくてすむ私たちの環境はもうそれだけで恵まれていると言えないでしょうか。このことに感謝できれば,相手を思いやったり自分を見つめたりできる心の余裕が生まれます。余裕が生まれたら,欠落した部分を補うための何かがきっと見つかるはずと私は信じています。
  私自身も恵まれた環境に生まれたこと、そして今回スタディーツアーに参加できたことに心から感謝し申し上げたいと思います。本当に多くの方々のおかげでした。
  ありがとうございました。

感謝の心 六年制普通科3年1組 兼森 葵

考えるという過程六年制普通科3年1組 隆野咲紀

私がカンボジアで一番強く思ったのは、平和の大切さと教育を受けることができることのありがたさでした。
  私たちは日本にいて、当たり前のように平和な生活を送っていますが、それは世界を見渡してみるととても恵まれていることです。カンボジアは今でこそ安全な生活を送ることができていますが、ほんの30年前まで、ポル=ポト政権のもと、恐ろしい虐殺がおこなわれていました。トゥールスレンやキリングフィールドを見学して、頭の中がぐしゃぐしゃになりました。こんなに人を殺して、一体どうなるのだと、本当に意味が分かりませんでした。たくさんの頭蓋骨が並べてある慰霊塔を見ながら、世界は平和でなければいけないと、強く思いました。
平和であればこそ、教育をまともに受けさせてもらえるのです。日本の子どもたちは当たり前のように、意欲があろうとなかろうと大学まで学ばせてもらっていますが、カンボジアの子どもたちは教育を受けたくても受け続けることがほとんどできないのです。
私たち日本人は努力すれば医師にも教師にもなれますが、なりたくてもなれない、努力しようのない子どもたちがカンボジアにはたくさんいました。この差とは一体なんなのでしょう。私は、日本で毎日だらだらと学校生活を送っていましたが、自分がいかに恵まれているかに気づきました。日本にいれば毎日やってくる“当たり前”がカンボジアの現実にふれて完全に吹き飛んでしまいました。 “当たり前”が“当たり前”でないと気付いた今、私は少し成長できたように思います。
  しかしそのことに気づきながら、どうしてよいかわからず、もどかしさに喘ぐ自分がここにいます。持って行き場のないこの気持ちを、何かの形にしてどうにかできないかと悩む自分がここにいます。考え始めたら切りがなく、終わりが見えない問題を私たちスタディーツアーに参加した者たちは共通に抱き、それを忘れないようにと念じつつ日本での日常生活を過ごし始めました。
私も仲間たちどうしたら世界が平和になるのか、どうしたら分け隔てなくみんなに教育が行き届くようになるのか、ツアー中も真剣に考え悩み抜きました。しかし簡単に答えが見つかるはずがありません。そんなときに言われた「大きな答えを出すことが大事なのではなく、考えるという過程が大事なのだ、考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで、思って思って思って、少しでも答えを見つけることが大事なのだ」と言う言葉が忘れられません。これからこの言葉を心の励みにして生活してゆこうと思います。
このスタディーツアーを通してたくさんの人に出逢えました。そして、たくさんのことを経験させていただきました。たくさんのことに感謝しながら、この経験を無駄にせぬよう、さらに多くの人に伝えていきたいと思います。

考えるという過程 六年制普通科3年1組 隆野咲紀

立志

一組 宮本 元

  二〇〇八年、僕は十四歳になった。二〇〇八年の一年間の漢字が『変』であったように僕も今年一年間で変わったように思う。しかし、僕の『変』は残念ながら良い意味の『変』ではない。良くない方の『変』だ。だから変わったというか変わってしまったという感じだ。本当はこんなことはないが、もし過去と未来のどちらかに行けるとして、そのどちらかを選択するならば、僕は『過去』を選ぶだろう。理由は自分でもよく分からないけど、きっと未来の自分が心配で、過去の自分のほうが今の自分よりも純粋だったからだろう。今のように宿題は夜遅くじゃなくて夕飯を食べた後すぐにやっていたし、学校に忘れ物なんてすることは時々しかなかった。自分より他人を優先していたし、部活でどんなに疲れていても、ほかの事をサボったり後回しにすることはなかった。新しいことに挑戦し、授業中寝てしまうことはほとんどなかった。それに比べて今の僕は何なのだろう?遊んでばかりいて、思ったことを実行できもせず、テスト勉強もぎりぎりにやってしまい、成績は前より下がってきている。頑張ったとか言っていたけど、今思えば全然頑張れていなかったんだと思う。前の自分は今の自分より良かったなと思う自分が情けないし、悔しい。原因は悩み事が多くなったせいなのかもしれない。でも悩んでばかりいて、今の僕は改善できていない。どんなことにも悩まず、前を見て走っていた自分に戻りたい。そして十四歳の今、自分の部屋で机に向かってこの作文を書いている僕は二〇〇九年を迎えた。今年からは変わりたい、いや変わらなければならないと思っている。今の堕落している自分に終止符を打ちたい。まずそのために始めたのが生徒会活動だ。学校をもっともっといい学校にするという目標を持って努力するのと同時に、自分に目標を持たせてけじめをつけたいと思う。また今年からは将来の夢も頭に入れて生活していきたいと思う。将来の夢…いままでいろんなものを考えた。保育園の時はバスの運転士になりたいというのが夢だった。理由はバスでいろいろな人を乗せるので友達がいっぱい出来るし、いろいろな所に行けるのがいいというものだった。小学生の低学年の時は、漁師になりたいと思っていた。漁師が魚をとる時のかっこいい姿に憧れていたし、今はもういないけど、祖父が魚釣りが大好きで、よく一緒に釣りに行っていた思い出があったからだ。そして小学校高学年から今の夢に近づいてきた。それは外国でボランティアをすることだ。その時は人を助ける仕事がしたいなと思っていて、消防士や警察官にもなりたいと思っていた。しかし外国で困っている人をテレビや図書室の本で知り、外国でボランティアをしたいと思うようになった。そして中学二年生になってやってみたいと思ったのが、今の夢である青年海外協力隊の一員として貧困地域で柔道を教えることだ。以前、新聞で青年海外協力隊で空手を教えている人の特集を見てそう思った。柔道は小学一年の時から続けているが僕は高校までしかやらないと思う。だから自分の仕事に活かしたいと思った。でも青年海外協力隊のことを調べて、なるのはとても大変だということを知った。英語も覚えなければならないし、人間性を磨かなくてはならない。その人間性というのは、責任感、思考の弾力性、積極力、忍耐力、表現力、態度というのが主であるらしい。まったく今の僕には身についていない。だからこれからいろいろなことに挑戦して身につけていきたいと思う。
これからいろいろなことがあると思う。家族のこと、友達のこと、学校のこと、部活のこと…でもこれからは過去ばかり考えていないで未来の自分に向かって、少しずつでもいいから前に歩んでいきたい。それがどんなに大変で厳しい道だとしても僕はくじけないようにしたい。

一組 宮本 元 一組 宮本 元

ニ組 東 ひとみ

  立志の日を迎えるにあったって、自分の将来について考えてみました。
  幼稚園に通っていた頃の夢は「ケーキ屋さん」「おもちゃ屋さん」で、小学生の頃は「作本家」「テレビのプロデューサー」になることでした。いつもころころと私の夢は変わっていたけど、中ニになって間もない頃、本当になりたいものを見つけました。
  母の勤めている薬局へ行ったことが一番のきっかけでした。薬局の中に入ると、患者さんが多くて、母を待っている間、たくさんの会話を耳にしました。
「お体の方はどうですか?」
「はい。おかげ様で。」
「前よりお薬が減ってきていますね。」
「このごろ体の調子が良いんですよ。」
「お大事に」
  この他にももっと、私の心に響いてくるような会話があったけど、患者さんと薬剤師さんが暖かい笑顔で話している姿を見ているだけで、「いいなぁ。私もあんなふうになれたらな…。」と思いました。愚痴をこぼす患者さんもいたけど、どの人も笑顔で帰っていきました。
  どの薬がどんな病気に効くのか、また、どんな副作用があるのかなどを母は時々、私に教えてくれます。風邪をひいてしまった時や処方箋をもらいに薬局へ行くときなど、頭痛に効く薬の名前を少しだけ、話してくれたりします。その時、「薬って不思議だな。もっと知りたい。…私も薬剤師になりたい。」と思いました。
  だから、私の目標は、「人に笑顔を与えられるような薬剤師になる。」ということです。
  私は、いつもたくさんの人に助けられて、支えられてきました。だから今度は私が、目標を達成して、たくさんの人を助けることができたらいいなとおもいます。
  この目標達成のためには、勉強することが一番大切だなと思いました。数学も理科も、私の苦手な教科だけど、夢のために頑張っていこうと思いました。その他にも、たくさんのことをチャレンジしてみようと思いました。元々私は、チャレンジしたりとか、新しいことに挑んでいくことは苦手だったけど、目標や夢を定めてから、少しだけど前向きになれたような気がします。「夢って、力があるんだな」と思いました。その夢の力を生かして、前へ前へ、進んでいきたいと思います。
  私は、小学生のときから剣道をやっていて、教わったことがあります。「諦めないことの大切さ」です。「諦めずに歯をくいしばってやれ!」とよく先生に注意されます。初めは、「そこまでしなくたって…。」と思ったこともあったけど、本当に、最後まで諦めずにやった試合は、印象強く心に残りました。きっと夢も同じように、あきらめずに追い続けることが大切なのだと思います。
  私がこれから歩む道には、たくさんの苦労や悲しみ、大きな壁が立ちはだかっていると思うけど、自分を信じ、夢を信じて歩いていきたいと思います。

ニ組 東 ひとみ ニ組 東 ひとみ

二組 福多 恭子

  私はどちらかというと内気な性格で、人と接することがとても苦手です。自分から発表したり何かに立候補しようとも思わないし、そういうことをする機会があってもやりたいなとも思いません。みんなと同じだと失敗することも少ないし、何より安心できるので目立たないようにいつも周りを気にしています。家族から、
「人の事ばかり気にせず、自分の事は自分で決めて、こうしたらいいと思えば自分から進んで実行しなさい。」
といつも言われます。友達からも
「気にしすぎだって。」
とよく言われます。でも私は、なかなかそれができないから、いつもこれでいいのかとか、人はどう思っているのかとか色々心配なのです。しかしこれではいけないとよく自分でも思います。だから立志の決意として、私は将来の自分の夢に向かって努力しようと思いました。
  私の将来の夢は、一流の高級ホテルの従業員になることです。具体的にいうと、他人が喜ぶことは進んで行い、困っている人がいたらさっとそれに対応した手助けができるような、そんな理想的なホテルの従業員になりたいと思います。そのためには協調性も大切ですが、人より一歩前に出ることも必要です。そうなるには今の私の性格を変えなければなりません。だからこれからは明るくて前向きで、周りをあまり気にし過ぎないように心がけたいと思います。私がなぜホテルの従業員になりたいと思ったかと言うと、前に家族旅行で行ったときのホテルのフロントに立っていたお姉さんにあこがれたからです。その人はきっちりスーツを着てお化粧をしていてきりっとしてて、とてもすてきに見えました。そういう風な人たちはたぶん、気持ちから違うんだろうなと思いました。私みたいにうじうじ悩んでいたら、そんな雰囲気が周りに伝わってしまうと母に言われたことがあります。あのお姉さんは気持ちの切り換えなどがちゃんとでき、みんなに良い雰囲気を伝えているからすてきに見えるんだろうなと今分かったような気がします。
  私はこのお正月に親戚に頼まれて、白崎八幡宮で巫女の仕事のお手伝いをしました。他の中学生は職場体験をするのだからやってみなさいと両親が言ってくれたのでやりました。そこで私は接客の大変さが身にしみて分かりました。私は巫女さんになってごへいを振ったりお神酒をついだり説明をしたりしました。私は毎年お参りをしにこのお宮に来るのですが、参拝者の立場では分からない、参拝者から伝わってくる独特の雰囲気がお宮側にはあるということを初めて知りました。私は二、三回参拝者のちょっとした態度や言葉に傷つきました。「接客ってこんなものか。」と私が嫌な気持ちでごへいを振っていると何人かの高齢者の方に 「重くない?手が疲れるねえ。ありがとう。」
と優しく声をかけていただき、とてもうれしくなりました。人と人とのコミュニケーションには、こういうちょっとした優しい心遣いが大切で、明るい人間関係を作るということを改めて実感しました。またホテルという職場は接客業だから、こういうことが一番大切なのではないかということに気がつきました。私はこの正月にとても大事なことを学びました。
  また参拝者の中に外国人の方が数名いました。ふと私はホテルには色々な国の人が来て、日本語と英語だけでなく他の国の言葉も話すことができた方が楽しいのではないかと思いました。話の内容は変わるのですが、私には兄と姉がいます。兄は韓国語、姉は英語とドイツ語を話すことができます。二人とも大学に行ってから、語学の勉強をがんばったようです。外国人の友達を何人も持ち、海外旅行に何度も行っています。話を聞いていると「世間は広いなあ」と思いとても夢がふくらむ気がします。それで私は大学で語学を学ぼうと決めました。これが私の夢の実現への第一歩だと思います。私は今まで中学校の国語や英語の授業を目的意識を持ってやっていたわけではありませんでした。しかしこの立志の作文を書いて将来の事がはっきりし、勉強への目的意識がわいてきました。

二組 福多 恭子

全日本高校模擬国連大会出場報告

〈冷戦終了後、世界各地で急増した紛争――
その紛争の最前線で戦っているのは、皆さんと同年代の、
またはもっと幼い子ども兵達であるという事実を、知っていますか。〉

 平成20年11月8日(土)-9日(日)、グローバル・クラスルーム日本委員会/模擬国連委員会が主催し、外務省・経済産業省・国連広報センター・国連大学・財団法人日本国際連合協会・文部科学省が後援する第二回全日本高校模擬国連大会が東京の国連大学エリザベス・ローズ会議場で開催されました。

  本校はユネスコ部の活動の一環として昨年の第一回大会から応募、選抜出場を果たしました。
今年は100名50チームの募集枠に対して、本校は2チームを編成し応募しました。
その結果、六年制普通科2年の米本千夏さん、同2年の寺嶋健太君ならびに指導教官として田中真澄教諭の3名が選抜され、全国から集まった高校生たちと激論を戦わしました。

今回の議題は上述のショッキングな現実を踏まえた『子ども兵の問題』です。
以下に委員会からのメッセージを抜粋しました。

「今日世界では、約30万人の『子ども兵』が30以上もの紛争地に存在するといわれています。
本来、子ども達は武力衝突から守られるべき存在であり、戦闘に参加させてはいけないという原則が守られてきました。しかし近年の地域紛争や内戦において、子ども兵は戦闘中の武装勢力の約1割を占め、時には大人より残虐な行為を行い、紛争の加害者ともなっているのです。

―中略―

  子ども兵の問題は、国連を含む多くの国際会議で話し合われてきました。
子ども兵の徴集・使用は数々の国際条約で禁止されており、戦争犯罪であると規定されています。
しかし、子ども兵を使うという慣習は無くならず、むしろ現在に至っても、子ども兵は意図的かつ組織的に使われています。

子ども兵の問題を考えることは、紛争、子どもの権利、そしてみなさん自身のおかれた立場を考えることでもあります。 」

レベルの高さ六年制普通科 2年3組 寺嶋 健太

 先日、模擬国連大会に参加してきました。1次審査を突破した全国の高校生が集まり、割り当てられた国の大使として、子ども兵について議論したのです。
  私は彼らの意識・知識のレベルの高さに圧倒されました。議論についてのリサーチ、相手の言ったことを理解するスピード、そして論理的に話を進めていくうまさ。
どれをとっても私には無いものであり、正直なところついてゆくのがやっと、というレベルでした。

  そういったレベルの高い大会に参加できたことは、私にとって非常に尊い経験となりました。
結局、賞こそ取れませんでしたが、賞を取るとらないといった問題を超越した、何か、大きなものをつかみ取った気がします。
  この大会を通じて刺激を受けたこと、感じたことは私のこれからの高校生活に活きてくるでしょう。
私は今、模擬国連大会に参加することが出来て、とても幸せだったと強く感じています。

―参加校一覧―

Afghanistan 岡山龍谷高等学校 Israel 金光学園中学高等学校 B
Algeria 桐蔭学園中等教育学校 A Italy 聖心女子学院高等科 B
Angola 札幌聖心女子学院高等学校 Japan 灘高等学校
Australia 高水高等学校 Lebanon 不二聖心女子学院高等学校 A
Azerbaijan 渋谷教育学園渋谷高等学校 B Liberia 千葉県立東葛飾高等学校
Bangladesh 頌栄女子学院高等学校 B Mexico 金光学園中学高等学校 A
Belgium 横浜インターナショナルスクール Myanmar 加藤学園暁秀高等学校 B
Bosnia and Herzegovina 広島県立尾道東高等学校 Nepal 神村学園高等部
Burundi 立教新座高等学校 Norway 順天高等学校
Cambodia 不二聖心女子学院高等学校 B Pakistan 筑紫女学園高等学校
Canada 慶應義塾湘南藤沢高等部 Peru 頌栄女子学院高等学校 A
Central African Republic 京都産業大学附属高等学校 Philippines 横浜雙葉高等学校
Chad 桐蔭学園中等教育学校 B Russian Federation かえつ有明高等学校
China 栄光学園高等学校 Sierra Leone 早稲田大学本庄高等学院 A
Colombia 早稲田大学本庄高等学院 B Somalia 豊島岡女子学園高等学校
Cote d'Ivoire 茨城県立水戸第一高等学校 Sri Lanka 渋谷教育学園渋谷高等学校 A
DR Congo 渋谷教育学園幕張高等学校 A Sudan 麻布高等学校
El Salvador 東京都立国際高等学校 Sweden 千里国際学園高等学校 B
France 洗足学園高等学校 Tajikistan 群馬県立中央中等教育学校 B
Germany 聖心女子学院高等科 A Thailand 早稲田大学高等学院
Haiti 茗溪学園高等学校 B Turkey 茨城県立水海道第一高等学校
India 東洋英和女学院高等部 Uganda 加藤学園暁秀高等学校 A
Indonesia 淑徳巣鴨高等学校 United Kingdom 茗溪学園高等学校 A
Iran 千里国際学園高等学校 A United States 群馬県立中央中等教育学校 A
Iraq 茨城県竹園高等学校 Yemen 渋谷教育学園幕張高等学校 B

 [模擬国連とは・・・グローバル・クラスルーム委員会HPより]

 学生が1カ国の大使として国際会議をシミュレーションすることで、国際問題を理解し解決策を模索すると同時に、現実政治の難しさを体感することが出来る活動です。

 さて、そのような模擬国連ですが、1923年にアメリカのハーバード大学で模擬国際連盟(当時は連盟!)
  として始まったのを起源に持ちます。
 その後世界中に広まり、日本では1980年代より模擬国連委員会が母体となり大学生を中心とした活動が行われてきました。

 現在も北は北海道、南は大分まで多くの大学生が模擬国連活動を行っていますが、近年は総合的な学習として中高生にも授業として取り上げられることが多いようです。
 今回のグローバルクラスルームによるアメリカでの高校生大会への参加もそうした近年の潮流の中に位置づけられます。

 今後、模擬国連がより多くの学生にとって国際問題を知り、行動を起こすきっかけになればと思います。

付中3年生の平和学習 感想文

回天記念館で学んだこと高水付属中学校3年  岡本 宏平

9月22日、気持ちよく晴れわたった青空の下、ぼくたちは回天記念館を訪れました。そこには、国を、そして愛する家族や恋人を守るために自分の命を犠牲にした人々の遺品や顔写真がありました。それらを見ていると何ともいえない気持ちになりました。年齢は17~20歳の若い人ばかりで、とても驚きました。みんなとても優しそうな人ばかりで、このような人たちが、回天という恐ろしい自爆兵器を米軍の軍艦にぶつけていったということが、信じられませんでした。彼らはあの狭い兵器の中で何を思いながら死んでいったのでしょう。恐らく、自分の死によって、愛する人や祖国を守ることができる。そう思って死んでいったのではないかと僕は思います。
海は見わたす限りに青く、緑豊かなこの島で、たった60数年前に若者たちが回天に乗るための訓練、いわば「死ぬための訓練」をさせられていたのだ。そう考えながら大津島を歩いていると、彼らが命をかけて創りあげたこの平和の中を、当たり前のように生きてきたこれまでの自分が恥しくなりました。自分が彼らの上に立って生きていることを忘れずに一日一日を大切に生きてゆこうと思います。
しかし、今に日本では毎日のように、殺人や自殺といった悲しいニュースが飛び交っています。このような現状を、回天によって命を落とした彼らはどのような思いで見ているのでしょう。ぼくはとても悲しんでいると思います。自分たちが命をかけて守ったものはこんなものだったのかときっと嘆いていると思います。
ぼくは、この国のために死んでいった若き勇者のために、そしてぼくの周りにいてくれるたくさんの人々のために、真剣に前向きに生きてゆこうと思います。

回天記念館で学んだこと 高水付属中学校3年 岡本 宏平

付中2年生のサマーセミナー感想文

オリエンテーリング高水付属中学校2年1組 桝尾 美加

「ゆっくり降りてきんさいね。まっとってあげるけぇね。」と友達が言った。私は、その励ましの声を聞きながら、舗装されていない山の斜面をゆっくりと何とか下っていった。
暑い中、山の中を使って行われたオリエンテーリング。ポストを探しながらがけを登ったり下ったりしていった。私が山を登る時に一番嫌いなところは、石がむき出しになっている坂道だ。滑るのが怖くてゆっくり降りるため、皆に迷惑をかけてしまっていた。そんな中で、友達が先ほどのような言葉をかけて待ってくれていたのだ。
いつもは「早くして。」とせかされていたので、今回は安心して少し速く降りられたし、何よりその言葉をかけてもらえたことがうれしかった。
そして、もう疲れたし制限時間になるかもしれなかったので集合場所に戻ると、何とか一時間以内に着いたのでほっとした。疲れたけれど楽しかったので、またやりたいと思えるようなオリエンテーリングになったかなと思った。
普段はオリエンテーリングなんてしないので、こういう体験で友達と協力することになったり、声かけしたりすると、その友達の良いところが見つかると思う。もしまたこういう行事があったら、今度は私からも手助けの声を出したいと思う。

「オリエンテーリング」高水付属中学校2年1組 桝尾 美加 オリエンテーリング」高水付属中学校2年1組 桝尾 美加 オリエンテーリング」高水付属中学校2年1組 桝尾 美加 オリエンテーリング」高水付属中学校2年1組 桝尾 美加

恐怖の向こうは高水付属中学校2年2組 西村 勇輝

ぐらぐらと柱がゆれる。夏なのに肌に微妙な冷たさを感じた。下にいるみんながとても小さく見える。思い切って飛ぼうと思うとすぐに足がすくむ。ぼくの背中には命綱がつけられているのに地面にたたきつけられることを考えてしまう。何度も飛ぶのをやめようと思った。でも、もうみんながぼくを見ていたのでやめるわけにもいかず、飛ぶことを決心した。飛び台の先に行こうと一歩ずつ足を出すと、そのたびに柱がゆれる。ついに飛び台の先に来た。そこでもまた何度もやめようと思った。でももうここまできたら飛ぶしかない。ついに思い切ってこう言った。
「3、2、1。」
ギギッと飛び台のきしむ音が鳴った。ぼくは約10メートル下に落ちていた。するとクイッと命綱に背中を引っぱられた。飛び終わるとさっきまではあんなに怖がっていたのにとても楽しくなっていた。最初はチャレンジしてみようかなという軽い気持ちでやって、次にすさまじい恐怖を味わって、最後は楽しんで終わった。
ぼくはこのTAP(徳地アドベンチャープログラム)を通じて、チャレンジすることの恐ろしさ・楽しさ・大切さを知った。ぼくはTAPをやって心も体も少し成長した気がした。ぼくはこれからTAPで学んだチャレンジという世界にもっと入りこんで行きたい。そのためには何事も恐れないことが必要である。

「恐怖の向こうは」 「恐怖の向こうは」 「恐怖の向こうは」

野外炊飯をして思ったこと高水付属中学校2年3組 澤原 茉由

なべを開けたらカレーのいい匂いが周りに広がった。本当はハヤシライスを作るつもりだったけれど、何かの手違いでカレールーを入れてしまいカレーになった。でも私はカレーの方が好きなのでうれしかった。カレーはとてもおいしかった。少しかたい野菜もあったけれど、おいしかったので全く気にならなかった。私と角野さんは火係で、火がなかなか着かなかったり途中で消えそうになったりと全然安定しなくて、きちんと煮えているか心配していたけど、おいしくできたのでうれしかった。これも調理をがんばってくれた班の人のおかげだと思う。手際のいい人、切るのが上手な人、味付けが上手な人、色々な人の意外といったら失礼だけど、意外な良い所が見られてうれしかった。私は調理の方にまわらなくて絶対に良かった(これは母にも言われた)。
でも、人参を私の皿に入れてくるのはやめてほしかった。私が嫌いなことを知っていて、私の皿に人参を入れてきた。せっかく古泉さんが少なくついでくれたのに、「ルーをついできてあげる。」と言ってルーもいっぱいついできてくれたが、人参も4個くらい入れられた。1個は友達に食べてもらって、残りは自分でがんばった。
「小学生か!」と友達に言われて散々だったけれど、みんなでワイワイできて楽しかった。3年生になってもまた、みんなで泊まってワイワイやりたいと思った。

「野外炊飯をして思ったこと」高水付属中学校2年3組 澤原 茉由 「野外炊飯をして思ったこと」高水付属中学校2年3組 澤原 茉由 「野外炊飯をして思ったこと」高水付属中学校2年3組 澤原 茉由 「野外炊飯をして思ったこと」高水付属中学校2年3組 澤原 茉由

ユネスコ全国大会in東京 参加報告

この度、六年制普通科3年の黒田咲穂さんと牧嶋恵子さんの2名が6月7、8日に東京で開催された第64回日本ユネスコ運動大会にユース・スタディーツアーin カンボジアの事後研修を兼ねて参加しました。

高水高校 3年 牧嶋恵子

事後研修では、(株)博報堂の方を講師に招き、プレゼンテーションスキルなどを学び、伝えることの難しさを実感しました。
ぜひ今後の報告会活動や社会生活で生かしていきたいと思います。
また青年の集いというプログラムでは全国のユネスコ会員が集まり、「平和について」のディスカッションが行われました。
老若男女様々な意見が飛び交い、大変有意義な時をすごすことができました。
そして、これからも熱い仲間と共にユネスコ活動を続けていけたらと思います。

高水高校 3年 黒田咲穂

東京の目黒で行われた全国大会は、カンボジアスタディーツアーの事後研修も兼ねており、一泊二日という短い期間にも関わらずとても充実した時間を過ごすことが出来ました。
プレゼンの仕方を教えていただいて私達のカンボジアでの経験を発表したり、フィリピンに行った大学生の発表を聞いたりするのはとても勉強になりました。また、青年プログラムで、平和について様々な年代の方と話し合うという貴重な体験もすることが出来ました。
今回学んだ多くの事をこれからのユネスコ活動に生かせるように頑張りたいと思います。

ユネスコ全国大会in東京 参加報告 ユネスコ全国大会in東京 参加報告

付中1年生の田植えと烏岳峰登山 感想文

―感想文掲載にあたり、保護者宛文書に掲げられた今回の行事の目的を引用しておきます。―

田植えと「楽学の碑」訪問によって、君たちにこんなことを期待しています。

田植え

・ものづくり体験を通じて、私たちは人の手によって作られたものに支えられていることを理解する。
・君たちを温かく迎えてくれる先輩たちとふれあい、交流を深める。

「楽学の碑」訪問

・「楽学」にこめられた意味についてあらためて考える。
・碑を守ってきた先輩たちの、「楽学」及び高水学園に対する思いを感じ、その先輩方の支えがあって111年目の高水があることを理解する。

私たちが「あたりまえ」と思いがちなこと(物を食べられること、学校に通えること、お家の方にお弁当を作ってもらえること、高水に111年の歴史があること……)についても、感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。

高水訪問を終えて高水付属中学校1年 岩倉可奈恵

6月6日金曜日、高水の訪問をしました。この高水訪問の目的は、「土を感じ、水を感じ、緑を感じる」ことです。そして「あたりまえに感じているものはあたりまえではないことを知るため」だと思います。
初めに、田植えをしました。私は田んぼに入ったことはあるけれど、はだしでは初めてなので、土の感触をとても不思議に感じました。また、足を洗う時、家で使う水道水とはちがった「水」を感じることができました。いつも食べているご飯は、このような作業を続けて、私達が食べるご飯ができることを知りました。
次に、烏岳峰に登りました。思っていたよりも険しく、厳しい上り坂でした。登る途中に水が流れていて、なんだか、心が清められた感じがしました。また、植物もたくさんあり、さまざまな緑を感じることができました。頂上に続くとても険しい道を登りきった後は、とてもすがすがしい気持ちになりました。少し曇っていたけれど、とてもよい景色でした。頂上で昼食をとり、校歌を歌ってから下山しました。
そして最後に、楽学の碑の見学をしました。よく見ると、高水学園にある楽学の碑とは微妙にちがっていました。その後に渡辺元教頭先生から、高水の歴史を教えてもらいました。高水には、こんな歴史があるんだな。と思いました。
私は、この高水訪問をして、たくさんのことが学べたと思います。校長先生がおっしゃっていた「土を感じ、水を感じ、緑を感じる」という意味が、なんとなくわかった気がします。この高水訪問で学んだことを忘れないようにしたいと思います。

「高水訪問を終えて」 高水付属中学校1年 岩倉可奈恵

渡辺先生と田んぼとあじちゃいと私高水付属中学校1年 石原 瞭

高水の地訪問ツアーがありました。ぼくが一番楽しみにしていたのは、校歌にもでてくる烏岳峰に登ることでした。(後になって考えると、これが一番苦しかったです。)
まず田んぼへ行き、田植えをしました。少しヘドロのような田んぼへ入るのはためらいがありましたが、こういうふうにして入りました。
「押すな、待って、心の準備が…あぁグショ!いやぁはまった。ぬけんんんん…。」
まあこんな感じです。1回目は服も汚さず清潔にきれいにできましたが、2回目は、「苗がなくなりました。あっベショ!服についたぁアハハハハ。」
と、もう服が汚れるのも気にならなくなりました。おかげで、バスの席に新聞紙をしかなくては行けなくなりましたが・・・。
次は烏岳峰登りです。2.6Kmなんか、スプリングセミナーに比べれば「へ」でもないわ!となめていました。
ごめんなさい。山をなめていました。実際は本当にキツかったです。そのかわり頂上の景色、弁当の味、「あじちゃい」(「あじさい」の小っちゃいもの)の香り、野いちごの味はサイコーでした。
帰りは、あじちゃいで遊びながらあっさりと下りれました。
最後に楽学の碑を見学しました。昔からあったような重みがありました。
渡辺先生の話を聞いて、まさに高水の生き字引だ!という感じがしました。
今回のツアーを通して、たくさんの体験ができ、高水の歴史の重みを感じることができました。まず第一に楽しかったです。

「渡辺先生と田んぼとあじちゃいと私」高水付属中学校1年 石原 瞭 「渡辺先生と田んぼとあじちゃいと私」高水付属中学校1年 石原 瞭

高水の地へ行ってみて高水付属中学校1年 星出 諒太

まずこの訪問でぼくが目的にしていたことがあります。それは校長先生がおっしゃってたように土、水、緑に触れるということです。
まず最初の目的の土、水に触れる田植えがありました。
田んぼに入った瞬間、足が土にはまったのでびっくりしました。土の感触はやわらかくて最初は気持ちが悪かったけれど後になるとだんだんなれてきました。
そして稲の苗を植えていると高水の卒業生の方が、
「上手だね」
と言ってくださいました。うれしかったです。
水で足や手を洗っているときに水がなんだかとても気持ちよかったです。
次に烏岳峰(烏帽子岳)に登りました。
ここでの目的は緑に触れることと頂上で大きな声で校歌を歌うことです。
烏岳峰を登り始めるとまだ500mもたたないうちにちょっと疲れてきました。
緑がとってもキレイでびっくりしました。
最後の大将軍からの道は階段やけわしい道だったので本当に疲れました。でも頂上についた瞬間バーと一面すごい景色が広がりました。とってもキレイでした。
最後に6代前の教頭、渡辺先生が高水の歴史について話してくださいました。
ぼくが特に印象に残っていることは、高水は地域の皆さんの協力があったからこそ建てることができた。というところです。
だからぼくは、この高水に入学できたことにほこりを持って学校生活を過ごしたいです。
帰るときに楽学の碑を見ました。これを見ると歴史を感じました。
よい経験ができて本当によかったです。

「高水の地へ行ってみて」高水付属中学校1年 星出 諒太

高水訪問をふり返って高水付属中学校1年 浜崎優里香

6月7日、私達は高水の地を訪れた。
まず私達は田植えをした。簡単な説明のあと、恐る恐る畑に足をふみ入れた。グチョグチョとした感覚があり、足がぬけなくなってしまい、少しあせったが、慣れて来ると意外に心地良かった。
「天空高き烏岳峰~」の歌詞のもと、田植え後烏岳峰に登った。スプリングセミナーの時よりは大分距離も短かったが結構しんどかった。特に大将軍からの登山道は石などが多く、滑りやすくて危険だった。だからすごく慎重に歩き、こけないように気をつけながら登った。登頂した時、視界がパアッと明るくなり、思わず一瞬目を閉じた。再び目を開けた時きれいな景色が広がっていた。山々が広がり、多くの建物を見渡すことができた。そこでお弁当を皆で食べたがいつもよりおいしく感じた。全員で校歌を歌ってから下山した。
そしていよいよ、“楽学の碑”を見に行った。学校にある碑とそんなには違っていなかった。それから6代前の教頭、渡辺先生のお話を聞いた。日露戦争などで教師たちが兵士にかり出され、教師が少なくなってしまったこと・・・。きっと皆本当は戦争に行きたくなかったけれど、それを言えずに亡くなっていったんだろうなと思った。
今までよく考えたことは無かったが、多くの人々の支えがあって高水の111年という歴史があるんだ・・・と感じた。改めて素敵な学校に入学したなと嬉しかった。
帰りのバスの中で寝ようかなと思ったが、寝られなくて辺りを見回すと5、6人が寝ていた。今日はつかれたが、楽しい1日だったなと感じた。今日学んだことを活かして学校生活がんばろう!と思う。

「高水訪問をふり返って」高水付属中学校1年 浜崎優里香 「高水訪問をふり返って」高水付属中学校1年 浜崎優里香