中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

令和1年度

「第13回全日本高校模擬国連大会」選抜出場

2019年11月16日(土)~17日(日)、東京の国連大学において、第13回全日本高校模擬国連大会が開催されました。模擬国連とは、国連会議のシミュレーションを通じて、現代の世界におけるさまざまな課題について学ぶための教育プログラムです。本大会には、過去最多の253チームの応募の中から86チームが選抜され、本校からは2チームが出場しました。この結果、今年で8年連続、12回目の出場となりました。なお、本大会で最優秀賞、優秀賞、地域特別賞(合計8チーム16名程度)を受賞すると、翌年5月に米国・ニューヨークで開催される高校模擬国連国際大会への参加資格が得られます。

議 題:死刑モラトリアム(Moratorium on the use of death penalty)
議 場:第75会期国連総会 社会人道文化委員会

高水Aチーム担当国:Australia
六年制普通科2年 豊田ゆき乃  六年制普通科1年 丸小野成輝
高水Bチーム担当国:Denmark
六年制普通科1年 森脇 優  羽山雄貴
引率教諭:池田辰之

「There is always light behind the clouds」

六年制普通科2年 豊田ゆき乃

 私は、今大会を終えたとき、前回大会とは違うことを感じた。それは、「楽しい」と「悔しい」という二つの気持ちだ。昨年は初めての全日本大会ということもあり、時間的にも、心にも余裕がなく、さらにリサーチや議題の理解も十分にできていなかった。その結果、会議本番でもいいパフォーマンスができず、周りの優秀な高校生達に、ただただ圧倒されるだけで、楽しいはもちろん悔しいとさえも思えないほどだった。周りの高校生と自分の間には、とても大きな差があることを思い知らされた。だが、この経験があったからこそ、今大会では、もう一度挑戦して良かったと思えるよう、言い訳せず、挑戦することを決めた。そして、模擬国連の校内応募が始まってから大会本番まで、私は自分のできることを最大限にやった。今回は、情報収集や資料作りもスムーズにできたため、他国のリサーチなど昨年はできなかったところまで手を回すことができた。そして、大会本番では自分が準備してきたことを出し切ることができた。もちろん、すべてが思い描いたようにできたわけではないが、強豪校の高校生達と渡り合うことができた。終わった後、私は「もう一度挑戦してよかった。悔いはないけど悔しい。楽しかった。やりきった」と素直に思うことができた。
 今回、私が模擬国連を楽しむことができたのは、池田先生、丸小野くん、森脇くん、羽山くんのおかげだ。丸小野くん、森脇くん、羽山くんは3人とも後輩だが、とても優秀で、それぞれから学んだことや私も頑張らなければいけないと思わされたことがたくさんあった。きっとこのメンバーじゃなかったら、こんなに楽しむことはできなかっただろう。そして、池田先生は、最初から最後まで、私たちのことを信じて見守ってくださり、大会が終わった後の反省会では「今までで一番いい大会だった」と言ってくださりとてもうれしかった。その言葉のおかげで、自分が模擬国連のためにしてきた努力が報われたように感じた。私はこの言葉を一生忘れることはないだろう。長い間、一緒に戦ってくれた池田先生、丸小野くん、森脇くん、羽山くん、本当にありがとうございました。
 最後に、来年、全日本高校模擬国連大会に挑戦する後輩達、池田先生の思いや今までの先輩方の悔しい思いを忘れず、来年こそはニューヨーク大会出場を勝ち取ってきてください!

「模擬国連(全日本大会)に行きたい諸君に向けて」

六年制普通科1年 丸小野成輝

 今回の模擬国連での私の課題は主に二つである。
 まず、一つ目として自らのリサーチ不足である。ここで私は情報量が少なかったと言っているのではなく、経験者である豊田先輩に任せていたので、自らの情報に対する理解が浅い段階にとどまってしまったということである。情報及びそのリサーチにおいてその過程で得られる補足的な情報のつながりがそれぞれの独立していた事項を有機的に結合させ、情報というのは一つの大きな集合体として最大に威力を発揮するのだ。しかし、それが私には全く不足していた。例えるならば、車の部品を組み立てずに持っていたようなものだ。確かに使えないこともないが、その有用性は完成済みの車に遠く及ばない。さらに、二つ目の課題にも通じることであるが、この情報の理解度の浅さゆえに私は自らの自信を十分に得ることができず、議論の場で強く出ることができなかった。
 そして、二つ目であるが、私自身こうした、いわゆる白熱した議論の場というものへの経験が不足していたがために、序盤から同グループ内で生じた全体の和というものを顧みない強い論調の議論に委縮してしまった。これが議場内での存在感と地位を確保する競争に乗り遅れる要因となってしまった。特に、この萎縮がのちのち、というより即時の絶えず変化する議場への不適応を招いてしまった。当初の予想では議場は存置派、廃止派に大きく二分されるものと考えていたが、EU、EU以外の存置国、中立国、廃止国1、廃止国2と私が確認したうえでは五つもしくはそれ以上の枠組みができ、かつそれが曖昧でグループの所属国がはっきりとしていないという混沌とした議場が私を混乱させた。それで、AustraliaはEU加盟国ではないが準備していた決議案と同様の考えのEUグループに盲目的に腰を据えてしまったのが間違いだった。彼らも同様に準備してきていて自分たちの案を通すという目的を持っていたので、結局議論に押し流されて私たちの案は不採用となった。あのとき少しでも新興グループとして混乱していたEU以外の廃止国によるグループに所属して「鶏頭となるも牛後となるなかれ」の精神で高い地位を確保しておくべきであった。
 このような「たられば」の話をしていても不毛であるので、ここからは模擬国連に出場したいと思っている(もしくは検討中の)諸君への話としよう。
 初めに断言しておく。もし、出場することが目的で、それで必要十分だと考えているなら、それはこの全日本高校模擬国連大会の意義をはき違えている。即刻改めるべきだ。さもなければ時間の無駄であるし、本気で参加している他校の参加者たちに対して極めて無礼である、そして君のパートナーに対してもだ。「NYに行く!」もしくはそれと同等の志と努力を持つ者と持たざる者との間ではそもそものレベルが異なる。確かに出場するだけでも全国の優秀な生徒たちに刺激されて自らの怠慢と誤解に気づくだろう。しかし、それだけではこの模擬国連に出場するために払う労力に対して十分とは言えない。もはやぼったくりである。十分な志を持つ者たちはこのような相対的に程度の低い段階ではなくそのはるか先のことを得る。これは自分に足りないものを具現化して教えてくれるのはもちろんのこと、それ以外にも参加者個々によって異なる多様な教訓、そしてコネクションを得る。だからこの大会には全力で挑まなければ最高の結果は得られない。
 最後に、ここまでの冗長な文を読了した読者諸賢へ一言。
 これ読むくらいなら勉強した方がためになりますよ。

「My Pleasure & Treasure ~ゴールはここじゃない~」

六年制普通科1年 森脇 優

 「感謝」。今回の全日本高校模擬国連大会はいくつもの感謝で成立している。
第一に、引率して下さった池田先生が私に全日本大会行きのチャンスを与えて下さったことへの感謝。
 模擬国連大会では様々な書類審査、文書の提出(日本語・英作文)が厳しく義務付けられている。あまり公表されることのない書類審査だが、そこには池田先生の並々ならぬ思いが込められている。過去10大会を担当した経験を踏まえて、私の相談にのって下さった。他の先生方も私を支えて下さり大変感謝している。
 第二に、私のパートナー羽山君に対する感謝。
 議場では、どのタイミングで何が起きるか全く想像できないため油断は禁物だ。そのため、事前に準備して行った作戦が通用しなかったり、一つの判断ミスが命取りとなったりすることも十分に起こり得る。そんな状況下で、私達はある一世一代の賭けに出た。その作戦は議場の流れをぶち壊すものであった。その実行役である羽山君は何も恐れず淡々とこなし成功へと導いた。2人で協力して会議に爪痕を残せたことは自信につながり、私は満足している。
 第三に、良きライバルである豊田先輩と丸小野君に対する感謝。
 今回初めて参加した私にとって、最初は不安しかなかった。しかし、2人と時には相談し合い、切磋琢磨し合いながら成長することができた。
 今回実際に出場して、他国担当の大使と交渉するうえで、自分と意見の異なる人を説得する難しさを身をもって体感した。全国の壁はあまりに高く、今までに感じたことのない刺激を受けた。全国の優秀な人たちと共に議論できたことは私の一生の宝だ。
 「やる気があれば何とかなる。」これから参加したいと考えている生徒にそんなことを私は言うつもりはない。なぜなら、模擬国連の全日本大会というものがいかにハードなものであるか身をもって体験したからだ。参加するならば、相当な覚悟をもって志願してほしい。
 今回の経験を活かし、リベンジを果たすため早々に準備をしていこうと思う。
 ゴールはここじゃない!!!
 私を全日本大会に導いて下さった皆様、有難うございました。

「近いようで遠かったニューヨーク」

六年制普通科1年 羽山雄貴

 模擬国連の全日本大会を知ったのは、中学1年生の中六合同発表会だった。正直なところ、自分には関係のなく、自分のはるか上をいく世界の人のものだと思っていた。その反面、頭の片隅では、なぜか興味があった。自分でもよくわからないまま、高校1年生になり、校内募集の説明会の時期が来たのである。
 私がなぜこの模擬国連に挑戦しようと思ったのかは正直、自分でもよくわからない。ただ、何事もチャレンジという自分のプライドがあったことは確実である。自分は校内選考で落ちると思っていた。説明会に来ていた方々はみんな優秀で、自分がとても割に合うとは思えなかった。しかし、蓋を開けてみれば、枠の4人に対して、希望は4人だった。「ラッキー」という表現が正しいかはわからないが、幸運であった。そこから、自分たちの準備が始まった。時間はあったものの、自分は部活との両立もあり、パートナーに選考課題を任せてしまうことが多くなってしまった。しかし最終的には、自分たちの納得できるものができ、あとは結果を待つのみとなった。結果発表の日、自分は落ちていたら怖かったので、気にしないようにしていた。昼休みに受かったと聞いた時には嬉しかった。
 本番に向けては、そこから1ヵ月半という短い準備期間だった。特に私達の場合はこの準備期間に1週間の修学旅行を挟んでおり、なおさら時間もなく、移動中に作業をしていたこともあった。加えて、自分は部活との両立だったので、ほとんどをパートナーに任せてしまった。さらにパートナーも同級生で初めてだったので、探りながら2人で行っていた。そんな中でPPP(事前提出の課題)を完成させるのは大変だった。最終的には納得のいくものができてよかった。
 東京に出発する前日、クラスメートや先生、先輩、後輩、塾の先生、家族などたくさんの人から応援してもらった。このとき、自分は「ニューヨークに行ってやろう!」と初めて思った。これだけ多くの人に応援してもらっているのに、その人たちの声援に応えないわけにはいかないと思ったからだ。
 自分たちは本番前日に東京に入った。その夜、決起集会と題して、模擬国連に出場した卒業生の先輩方と話をする機会があり、初めて出場する僕たちにとってすごくありがたい話をしていただき、またより一層やる気が出できた。
 そして本番。他校の担当国をここで初めて知り、議論が始まった。議論の時間は2日間で3 セッション、合計11時間ほど行われた。議論がとても白熱して面白い討論となった。自分はmotion(会議をどう進めるかの動議)で議場をひっくり返すような提案をし、すごく気分がよかった。しかし、自分たちの用意していたプランは全くと言っていいほど通らず、自分たちが会議を引っ張っていくことができなかった。入賞することはできなかったが、2人ともやりがいは感じつつも、悔いが残る結果となってしまった。
 今回、自分たちは、高水からは初めてとなるニューヨーク大会へと駒を進めることはできなかった。しかしながら、自分には、来年のチャンスも大いに残されている。今回、大会に参加して、感じたこと、学んだことをしっかり、生かせるように、来年も、この全日本高校模擬国連大会に参加して、ニューヨーク大会に行けるように頑張りたいと思う。
 最後に、応援してくれた、クラスのみんな、先輩方、後輩、先生方、そして身内にも感謝を伝えたい。そして、別ペアでありながら、一緒に高め合った豊田先輩&丸小野君ペア、こんな自分と最後まで一緒に歩んでくれた森脇君にも感謝を伝えたい。そして、4ヵ月間、ちょっとうるさい自分たちを最後まで面倒見てくださった池田先生には最大限の感謝をしたい。

「第13回全日本高校模擬国連大会」選抜出場 「第13回全日本高校模擬国連大会」選抜出場

第59回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」県大会 山口県知事賞(日本国際連合協会山口県本部企画主催)

中学2年生の吉村達也君の作文が特賞(山口県知事賞)に輝きました。大会の最優秀作品となった吉村君の作文は、全国大会へ出品されました。

平成24年度に遡りますが、本校はかつて同県大会で最優秀を勝ち取り、そのまま全国大会へ出品された作文が同大会でも最優秀に輝き、その副賞により、ニューヨークの国連本部に派遣された生徒を輩出しています。

「違う価値観を持つ人達と共存するためにとうするべきか」

高水高等学校付属中学校2年 吉村達也

 私は、国際理解・国際協力で違う価値観を持つ人と共存するためには、母国のことを理解し、他国に母国のことを伝えるということが必要だと思います。
 まずは、母国がどのような国でどのような歴史を辿ってきたのかを理解・知ることから始めなければならないと思います。これをするためには、母国に昔からある伝統行事に参加をしてみたり、歌舞伎や狂言などの伝統芸能について勉強をしたり、観てみたりするなど、このようなことをするのがいいと思います。
 さらに、私は、部活動で茶道部に入っています。そこで、茶道を通して、日本の伝統文化を学び、そして母国のことを理解していきたいと思っています。このように、国際理解・国際協力をするためのはじめの第一歩は、様々な体験などを通して、どのように母国が今までこの世界を歩んできたのかを理解をすることだと思います。
 母国がどのような国であるのかを理解することができたら、次に他国に母国のことを伝えるということが重要だと思います。これをするためには、まず、他国の人と会話をする必要があります。だから、英語を学ぶことがとても重要で大切です。
 僕は今、茶道部だけでなく、英会話部にも入っています。英会話部では、国際理解・国際協力に必要な英語を学んでいます。そこで、コミュニケーション能力を高めて、他国の人ともきちんと会話をできるようにしようと努力しています。僕がこの英会話部に入ろうと思ったきっかけは小学五年生のときに広島の原爆ドームで他国の人に話しかけられたときです。僕は、その時英語を話すことができなかったので、コミュニケーションを取ることができませんでした。だから、英語を話せるようになって、母国の人だけでなく他国の人とも会話をしたいと思いました。そして、僕は英語をきちんと話せるようになり、他国の人に母国の文化などを伝えてみたいです。これからも英語の勉強をがんばります。
 そして、英語を話せるようになったら、他国の人ときちんと会話ができるので母国のことを他国に伝えることができます。けれど、母国のことだけを他国に伝えても国際理解・国際協力はできません。だから母国のことを伝えるということだけでなく他国のことに興味を持って他国のことを知ることが必要だと思います。このように、自分の意見や母国の文化などを他国の人に伝えて、他国の意見などを聞いて他国のことを知ることによって国際理解・国際協力をし、共存することができると思います。僕は、これから他国のことに興味を持ち、ニュースや新聞などのメディアを通して他国のことを少しでも理解したいです。
 しかし、これだけでは完璧に理解することはできないと思うので英語の勉強をきちんとし英語を話せるようになって、実際にその他国の人と会話をして理解を深めてみたいと思います。
 他にも、他国の人と一緒にスポーツをするなどをして交流したり、実際に他国に行くような留学などを通して、国際理解・国際協力をすることもいいと思います。ユニセフの募金などで発展途上国などに寄付をすることなど、小さなことでも国際協力になり、人を助けることができるのでとても大切なことだと思います。このように、どのようなことでも国際理解・国際協力ができるので、慈善活動をするように僕も今まで以上に心がけてやっていきたいです。
 最後に、国際理解・国際協力で違う価値観を持つ人と共存するためには、母国の伝統文化などを体験し、母国の理解を深めて、その母国のことを伝えるために英語を学び、習得し、他国に母国のことを伝え、さらに、他国のことにも興味を持って、他国のことを知ることが重要だと思います。さらに、色々な慈善活動に参加して、人を助けることも重要だと思います。

第39回「全国中学生人権作文コンテスト山口県大会岩国地区大会」優秀特別賞

第39回「全国中学生人権作文コンテスト山口県大会」岩国地区大会において、中学2年生の古川 匠君が優秀特別賞に選ばれました。

「心の会話」

高水高等学校付属中学校2年 古川 匠

 祖父が認知症になった。
 僕の家族は、祖父と一緒に住んでいる。だから僕は、生まれた時から祖父と暮らしている。一人で何でも出来ていた祖父は、今は、一人で出来ることがほとんど無くなってしまった。食事もお風呂も、着替えもトイレも、歩くのも、誰かが助けなくては出来なくなってしまった。一日何時間でも本を読むほどの読書家だったけれど、今は、本を開くこともなくなってしまった。祖父は、定年まで働いて、その後は、家でみかんを作っていた。僕の住んでいる周防大島町特産のみかんだ。みんなが、甘くておいしいと言ってくれていた。僕も祖父の作るみかんが一番おいしいと思っていた。けれど、今は、みかん畑に行くこともなく、一日中、ほとんど寝て過ごしている。あんなに毎日、畑に行っていたのに、みかんのことも全部、忘れてしまったのだろうか。僕のことも時々わからないことがある。
 今祖父はどうしたいと思っているのだろうか。どうして欲しいと思っているのだろうか。
 祖父は以前、約三ヶ月間、老人福祉施設に入所していた。家族のいない間、一人で家にいるのは危ないからだ。この頃は、祖父も今より認知症が進んでいなかったので、一緒に話し合って決めた。でも、家に帰りたいと祖父は言った。だから、また家での生活が始まった。父と母が祖父の希望を叶えてあげたいと思ったからだ。以前より大変になることはわかっていたけれど、祖父の気持ちを一番に考えて決めたようだ。だから、父と母が働きながら、家で祖父の世話をしている。
 僕は僕のできることを考えてみた。僕は時々、祖父の話し相手になっている。今の祖父には、現実にないものが見えたりするらしく、変なことばかり言うけれど、話を聞いてあげると安心するようだ。耳の聞こえにくくなったし視力もおちていて、イライラすることもあるようだ。でも、否定せずにやさしく話しかけていると、落ち着いてくる。僕は家族の一員として出来ることを見つけたような気がしている。
 目のかわりになったり、耳のかわりになったり、手足のかわりになったり、色々してあげられることがある。少しでも、祖父が楽になって笑っていられるように手伝ってあげたいと思う。その中でも一番大切なのは、会話ではないかと気が付いた。何をしてあげるにしても話をしなければいけない。祖父が不安にならないように話をしてから手伝ってあげるのが大事だと思った。何も言わずに、ただ手伝っても祖父は嬉しくないのではないだろうか。これから先、どんどん祖父が出来ないことが増えてもいっぱい一緒に話をしようと思った。祖父に聞こえていても、聞こえていなくても、見えていても、見えていなくても、例えば、僕のことがわかっても、わからなくても、いっぱい、話をしようと思った。変なことばかり言う祖父の話を、いっぱい聞いてあげようと思う。そして、僕の話もいっぱい聞いてもらおうと思った。
 今父は、単身赴任なので週末以外の平日は、母が一人で祖父の世話をしている。小くじの介助やトイレやお風呂に入れるのは本当に大変そうだ。実際、僕が手伝った時にも、正直大変だった。仕事もして家のこともして。毎朝僕達の弁当を作って、送り迎えも一人でしてくれている。だから、祖父の機嫌がいいと、母も少し助かるようだ。そんな母とも、いっぱい話をしようと思う。学校であったことを話すと、母は嬉しそうに楽しそうに聞いてくれる。だから僕も、母の話をいっぱい聞いて。会話したいと思う。そうすると、祖父や母、そして家族の笑顔が増えていく。
 家族でも他人でも、人として、人と接するのに、大切なのは、会話することなのだと思う。「話を聞く」「話をする」この二つがなければ、人と人との間で、対立も理解しあうことさえありえない。そして互いの思いやりや人としての尊重も成立しないのではないかと思った。現在、コミュニケーションツールが片寄っている気がするが、僕は、耳が不自由だったり、ALSのように声を出すのも困難な人だったり、いろんな障がいをかかえている人にも、自分の気持ちを、自分の表現で届けられる人になりたい。そして、相手の心の言葉を聞き取れる人に成長したい。

第1回「高校生によるSDGsに関する感想文コンテスト」上位入賞3名

日本国際連合協会山口県本部が企画主催する第1回「高校生によるSDGsに関する感想文コンテスト」で六年制普通科の3名が入選し、上位3賞すべてに名を連ねました。

特賞(日本国際連合協会山口県本部長賞) 1年 松本 彪(まつもとたける)君
優秀賞(公益財団法人 山口県国際交流協会理事長賞) 1年 河戸明愛(かわどめいあ)さん
特別賞(国際ソロプチミスト山口賞) 1年 上杉美優(うえすぎみゆう)さん

本大会の上位入賞者5名中3名を占める健闘ぶりでした。

【題目等】
 題目は自由。持続可能な開発目標(SDGs)のうち、いずれか一つを選択し、選択した開発目標について、学校、家庭、社会などにおける執筆者の学習や体験あるいは実践などについて、述べたものとします。

持続可能な開発目標(SDGs)とは
 「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のため、2030年を年限とする次の17の国際目標のことです。

  • ①貧困をなくそう
  • ②飢餓をゼロに
  • ③すべての人に健康と福祉を
  • ④質の高い教育をみんなに
  • ⑤ジェンダー平等を実現しよう
  • ⑥安全な水とトイレを世界中に
  • ⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに
  • ⑧働きがいも経済成長も
  • ⑨産業と技術革新の基盤をつくろう
  • ⑩人や国の不平等をなくそう
  • ⑪住み続けられるまちづくりを
  • ⑫つくる責任つかう責任
  • ⑬気候変動に具体的な対策を
  • ⑭海の豊かさを守ろう
  • ⑮陸の豊かさも守ろう
  • ⑯平和と公正をすべての人に
  • ⑰パートナーシップで目標を達成しよう

「水不足の深刻さ」

高水高等学校 六年制普通科1年 松本 彪

「世界ではおよそ9億人が水不足に苦しみ、衛生的な水が得られないことが原因で、毎日4000人の子どもたちが命を落としていく――。世界を取り巻く水の現状は、知れば知るほど過酷で、目を覆いたくなります。(SDGsより)」

私はこの文章を読んで、今の世界の現状を目の前に突きつけられた。この現状を実際に見聞きしなければ、絶対に知ることはなかっただろう。そして私はその現状を知ると同時に、地球に在る水についてもっと知りたいと思った。さらに、実際の世界の水の問題について考えたいとも思った。これを機に実際に考えてみた。

現在地球上にある水とは一体何なのか。太古の時代まで遡る。私たちの住んでいる地球は約46億年前に太陽系の惑星のひとつとして誕生した。地球は太陽系唯一の水が存在する惑星だ。それゆえ、水の惑星とまでいわれている。地球の面積の7割を水(海)が占めている。このようなことをいわれているものだから、人間は「嗚呼、地球って水がたくさんあるんだなあ。」と感じてしまう。では、そのうち利用できる水はどのくらいあるのだろうか。実は海水が98パーセント、淡水は2パーセント、その大部分は南極・北極にある氷山などだ。勿論海水や氷山は利用できないので、利用できる水は全体の0.01パーセントにも満たないのである。これは風呂桶いっぱいの水のうち、わずか一滴程度。とても小さい割合なんだと実感してもらえただろう。この一滴の水を人間は分け合って生きているのだ。しかし、この水が枯渇したり汚染されたりすると、すべての人間、いや、すべての生物が絶滅してしまう。つまり、水は生物にとってかけがえのないものなのだ。水の重要性を理解したところで本題に移る。

実際の問題について考えていこう。私は今世界の水問題を3つの分野に分けて考えた。地球単位の水問題、世界単位の水問題、そして個人単位の水問題の3分野だ。それぞれの問題を3分野に分けて、私たちに取り組める課題を考えてみる。

先ずは、地球単位の水問題。私が考える地球単位の水問題とは、砂漠や山脈などの気候や地形によって水不足であるという、いわゆるどうしようもないことである。そういった場所に住む人々は日々身をもって水の大切さを感じているのだから、水を無駄に使ったり、水資源を破壊したりすることはないだろう。この問題については深く考える必要はないと考える。

次に、世界単位の水問題。これは国やその人口がそれぞれ異なることによって、世界各地で水の格差ができてしまうという問題だ。この世界単位の水問題の具体例として挙げられるのは、国別の1人当たりの水資源消費量。私は以前国語の授業の際、このグラフを見た。すると、各国の一人当たりの消費量の差が顕著に表れていた。人口の多い国インドと中国(アメリカも匹敵しているのだが、ここでは2国について考える)が他の国々と比べものにならないほど一人当たりの消費量が多かった。この2国の急激に人口増加したという背景に着目した。急激な人口増加をする前は水の消費量は各国と比べてそこまで多くはなかった。しかし人口増加とともに、生活用水の消費が激しくなったのだ。この理由として考えられるのは、以前の暮らしぶりと大きく変化したということだろう。人々は食糧が足りなくなるという懸念をするあまり、(水は食糧よりは足りていると考えられているだろうから)水の使用量が他の国々と比較して多いといっている場合ではないのだろう。この問題がさらに深刻になる前に水の重要性について説いたり、国規模で節水を促したりして少しでも水不足改善に貢献したいものだ。

私たち日本も世界の中では消費量は多い方なので対策していきたいが、どのように対策するか。ここで、個人単位の水問題について考える。個人単位の水問題とは、人間一人ひとりが毎日の生活の中で水の浪費をしているということだ。この問題は3つの分野の中で最も小さな問題であり、かつ最も大きな問題だと私は考えた。世界の人口は現在約77億人、77億人が協力すれば凄まじい力となる。そう、この力は小さいようで、とても大きい力なのだ。私はこの問題に対策することこそが水不足改善に一番繋がると思う。アフリカや南米、発展途上国では安心した水を手に入れることができない環境だ。だから、先進国の人々が日々の生活の中で積極的に節水すれば地球上の水を守ることに間違いなく貢献できる。

水問題は軽視されがちだが、地球上で最も深刻な問題だといっても過言ではない。冒頭の文章でもあったように、目を覆いたくなるような現状にどう向き合っていくかがこれから大事になるだろう。結局個人個人で水を節約することが一番効果的な水不足の改善方法だ。毎日少しでも節水に心がけていきたい。

「フードロスについて」

高水高等学校 六年制普通科1年 河戸明愛

今年の5月半ば、私はとあるニュースをみた。その内容はフードロスについてだった。
そのことを知るまでの私はフードロスについて知っている情報は昨年、当時高校2年生の先輩の、「高校生の主張コンクール」の作文を聞いたぐらいだった。先輩の話はとても深く、具体的な対策などを主張していたということが強く印象に残っている。
そのくらい少ししか知らなかったフードロスについて私はニュースを見て1つ思い出したことがあった。それは私が小学生の時のことだ。私はとても給食が苦手だった。いつも食べられることが当たり前ではないことは両親から何度も言われていたので残すことは良くないと分かっていながらも6年間でとてもたくさんの給食を残してしまったことに後悔している。そんな私が思い出したことはランチルームにある青いバケツの事だった。これは残飯入れで給食が食べれなかった私はよくそこに給食を捨てていた。
ある日、私は担任の先生から、
「給食を作ってくださる先生たちは青いバケツの中身が少なければ少ないほど嬉しくなるんだってー。」
ということを言われた。当時私は、その意味が全然分からなかった。給食の先生は青いバケツなんて、中身を捨てるだけだと思っていたからだ。
 しかし、今思えば私は環境にも食べ物にも先生たちにも悪いことをしたなと思う。
 話が少しずれたが、年間643万トンの食べられる食べ物が捨てられることを知ってものすごくもったいないなと思った。
 日本フードエコロジーセンターにはトラックが絶え間なく訪れ、コンテナの中には、原形のとどまった食パンやメロンパン、殻をむいたばかりのゆで卵や鮮やかなピンク色のハムなどまだ食べられるものが沢山あるということをニュースで知った。廃棄物なのに腐敗臭がしないということにも驚いた。それほど新鮮なんだということも同時にわかった。
 とくにコンビニや大手スーパーの期間限定で大量販売されるおせちや恵方巻、クリスマスケーキなどの季節が近くと、廃棄の量も増えるという。
 『食品ロスを意識して賞味期限の近い商品を購入』という質問を消費庁が今年1月に問いかけ、3000人が回答した。というグラフを見た。
 私はその質問を初めて見た時、「ほとんどない」という項目を選んだ。全体の回答は「よくある」が14.3%で「時々ある」が31.9%で「ほとんどない」が35.5%で「全くない」が18.3%と私と同じく「ほとんどない」と回答した人が多かった。
 私の場合は無意識のうちに賞味期限が1番遠いのを選んでしまいがちである。
 そんな大量に破棄される食品で、」少しでも飢餓を減らすことができるなら私はもっと食品を大切にして計画的に食べ物を作るべきだと思う。
 そして先日私はあるバラエティー番組を見て、Reduce GOというアプリがあることを知った。このアプリは近くのレストラン、飲食・小売店で余ってしまいそうな食品を、月額定額で受け取ることができるアプリで、こういった環境のためのアプリも増えていくといいと思った。
 また、私は飢餓をゼロにするために日本全国の、賞味期限・消費期限が残り半月となった商品を集めて食料危機であるイエメンや南スーダンなどに寄付して飢餓ゼロをめざし、寄付する国を徐々に増やしていけば、まだ食べられる食品が不要に捨てられることも減り、飢餓も減少するのではないかと私は思う。
 実際に私が考えたことが実行されると、食料を寄付された国の人たちは少しずつ元気をとり戻すというか、復活するというか、国全体が飢餓で悩まされることも無く、自給自足が少しずつでもできるのではないかと思う。
 このような活動がすぐに実行されるほど簡単な問題ではないことは十分理解しているが、私たちのすききらいや、イベントなどで不要に処分される食品が少しでも飢餓で苦しんでいる国の助けになるのであれば、その年に大量に捨てられる食べ物を同じ地球で苦しんでいる人々に届けたいと私は思った。
 そして私の小学生時代のように環境にも食べ物にも世界の人々にも悪いことを極力して欲しくないと思った。

「世界中の子どもが同じ教育を」

高水高等学校 六年制普通科1年 上杉美優

 私は、朝早く起きるのが苦手だ。毎朝、目覚まし時計の音が聞こえると憂鬱な気分になる。もっと寝たいのに、眠たくてしょうがないのに勉強なんてできるわけがない。いつもこのようなことを考えながら学校に行く。でも、学校に着くと友だちがいて、おもしろい先生もいて、学校に来て良かったなという気分になる。私は、毎日このようなことを繰り返しているので、これが当たり前だと思っていた。毎日、学校に行って、友だちと勉強して、家に帰る。これが普通なのだと思っていた。
 しかし、ある日、テレビのコマーシャルを見て、そうではないことを知った。そのコマーシャルには女の子が映っていた。小学生くらいだから学校に通う年齢なのに、水を運んでいた。とても衝撃的なことだった。それから、学校やインターネットなどで世界には学校に通えない子どもたちがいることを知った。特に女の子が通えないことも知った。通わせてもらえない理由として、家の手伝いがあるから、両親も勉強をしてこなかったので勉強が必要なものだと思っていないから、女の子が勉強をしなくていいからというものがある。
 この話を聞くと、私はとても贅沢なことを考えながら学校に行っているのだなと思う。私は、勉強は好きではないが、必要なことだとは思っている。例えば、文字が読めないとその物がなにかわからない。なにかわからないままそれを口にすると死に至るかもしれない。他にもけがをしたときの手当ての方法を知っておかないと、菌が増え、けがをしたところがひどい事になるかもしれない。このようなことを避けるためには、やはり勉強が必要だと思う。勉強して危険なことを避けることができれば長生きができる。それは男の子も女の子も同じことだと思う。なので、私は、世界中の子どもが同じ質の高い教育を受けることが必要だと思った。
 そのために、まずは、募金をすることから始めた。これが一番早く、私にもできる活動だと思ったからだ。私ができる募金の額は少なかったが、それでも少しでも届くといいなと思い募金した。他にも、世界の勉強ができない子どもたちの状況について、もっと詳しく調べたりした。そうすると勉強ができないだけでなく、水すらきれいなものを飲めていないことを知った。今の私にできることはこれだけだが、大人になったら、もっと他の活動をしたいと思っている。私は、心理カウンセラーになりたいので、その職業をいかし、現地の子どもたちの話を聞けたらなと思っている。聞くことで子どもたちの悩みを解決できると思うし、勉強に対してどのような思いを抱いていて、どのくらい勉強がしたいのかということを知れると思う。それをもとに、さらに募金をしたり、私の教えられることがあれば、教えたりしたい。傷の手当てなら簡単に教えられて、これから役に立つことだと思うので、そういうことを教えていきたい。それに、両親に勉強の大切さを知ってもらいたい。学校に通いたいと思っている子どもが学校に通えるチャンスを増やしたい。でも、私ひとりが活動をしていると限度があるので、他の人にも、世界の子どもたちの状況を知らせていきたい。
 今回の、この作文の、スローガンのようなものに「地球上誰一人として取り残さない(leave no one behind)」というものがある。私は、質の高い教育の面は、私の両親や先生方のおかげで取り残されていない。だから、勉強に対する思いが大切だとは思うが好きではないというものだった。でも、もし、私が質の高い教育を受けられない立場だったら、勉強ができることをうらやましく思っていただろう。世界にも、勉強ができることをうらやましく思っている人がたくさんいると私は思っている。なので、私は、もっと勉強ができることへの意識を変えていかなければならないと思っている。毎日、学校に通えて、友だちに会える幸せをきちんと実感していきたい。そして、勉強して知識を身につけられる幸せも実感していきたい。  私は、この作文を書くことで、質の高い教育を受ける以前に、教育を受けることが難しい子どもがいることを改めて知ることができた。いきなり、世界中の子どもたちが質の高い教育を受けるとなると、受けるための設備や、たくさんのことを教えてくれる先生を急いで準備しなければならないので、まずは、世界中のみんなが平等に教育を受けられるようにするといいと思う。そして、少しずつ質をあげていき、最後には世界中の子どもたちが質の高い教育が受けられたらいいなと思う。私ができることはほんのわずかなことしかないが、世界の子どもたちの状況を知っている今、できることは最大限にして、私と同じや私より年の離れた人みんなが同じように勉強ができるようになったらいいなと思う。

第66回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」
六年制普通科2年生全国大会出場

外務省と日本国際連合協会が主催する「高校生の主張コンクール」の全国大会が、10月15日(火)に東京の国連大学ローズルーム国際会議場で開催されました。

本校からは、六年制普通科2年の豊田ゆき乃さんが「日本における持続可能な開発目標の達成に向けて、私たちが国連とできること」のタイトルで6分間の主張に挑戦しました。

本大会は、国際連合の意義と普及を目的に今年で66回を数える伝統ある大会です。
外務大臣賞、法務大臣賞、文部科学大臣賞、日本国際連合協会長賞の4名には特賞として、ニューヨーク国連本部研修旅行が贈呈されます。

応募総数235名より予選を通過した県代表25名が東京にコマを進め、個性いっぱいの熱弁をふるいました。

本校は、これまで計8回の出場を果たしています。

「日本における持続可能な開発目標の達成に向けて、私たちが国連とできること」

高水高等学校2年 豊田ゆき乃

 私達はよく「世界には学びたくても学べない人がいる」という言葉を耳にします。今年3月、ユネスコメディカルスタディツアーで訪れたカンボジアで、私はその言葉の実際を目の当たりにしたのです。首都プノンペン郊外の農村部にある寺子屋では、貧困が原因で学校に通えない子供たちが大勢学んでいました。教育を受けることで賃金の高い職に就き、貧困の連鎖を断ち切れることや、金銭をだまし取られる等の犯罪被害から身を守ることができることを聞き、教育を受けることの重要性を再認識させられたのです。
 また医療現場視察では、献身的にカンボジアの医療を支える日本人医師達の姿に胸を打たれました。先生方は、毎年自費でカンボジアを訪れ、患者の治療だけでなく、治療法を公開することで、現地の医師の養成や、医療技術の向上を支援するのです。この活動はまさに持続可能な社会の担い手づくりの役割を果たしており、保健省大臣にお会いした際、そんな医師達の活動に大変感謝しているとおっしゃっていました。目の前の課題を解決し、よりよい未来を築くにはやはり人の力、マンパワーだと確信し、次の世代を担う自分の役割を意識するようになったのです。私はこの貴重な経験を自分だけの記憶に留めておくのではなく、できるだけ多くの人に伝えることが大事だと考え、報告会に積極的に参加し、帰国後も先生方と情報交換を続けています。
 しかし「学びたくても学ぶことができない」という教育の問題を抱えているのは開発途上国だけではありません。私たちには縁の無い問題のようですが、日本でも相対的貧困による教育の格差が社会問題なのです。カンボジア訪問により、貧困や教育の問題に関心を持ち始めた私は、その実態をインターネットで見た記事で知ったのです。記事にはある中学生が経済的に厳しい家庭環境により、満足な食事が摂れず、徐々に気力を失い、学校の欠席が増えたこと。そして勉強が遅れ、友達からも孤立し、将来のことは何も考えられなくなった状況が書かれていました。そんな中学生に手を差し伸べたのが、地域のNPO法人による支援活動です。食の提供だけでなく、学習支援による劣等感の克服により、その中学生は再び学校に通い始め、将来の夢を語ることができるようになったのです。
安心して教育を受けられる環境は、夢や希望を生み出します。その子供たちが、将来社会に出て、同じ境遇の子供に出会ったとき、彼らにしか思いつかない解決策を考え、さらに支援の輪が広がることでしょう。
 私はカンボジアでの経験やこの記事を通して情報収集も大切だと思いました。日本や世界にはどんな問題があるのか知らなければ、考えることも行動も起こせません。一歩踏み出して経験すること、一歩踏み込んで調べることで、知らなかった問題や、恵まれた自分の環境を知ったのです。
 そこで、私は改めて自分にもできることはないか考えました。早速インターネットで検索して、国連の専門機関であるUNESCOの書き損じはがきとUNICEFへの寄付による支援を見つけました。これなら今の私にもできると思い、すぐにはがきを集めて送り、寄付の申し込みをしました。そして、国際協力NGOにも私と兄の使ったランドセルを送ったのです。何かを始めれば何かが変わる。これは私のモットーです。
 国連には様々な活動がありますが、私たちにも参加できる活動があることはあまり知られていません。また2025年大阪万博の開催目的の一つは「国連が掲げる持続可能な開発目標SDGsが達成される社会」ですが、ある新聞社の調査ではSDGsを知っていると答えた日本人は19%という結果が出ていました。もっと国連にそしてSDGsにも関心をもってもらうために、世界中に広がる国連のネットワークを利用し、日本も国連も今まで以上に積極的に広報活動を行うべきではないでしょうか。今まで目にも耳にもとまらなかったカンボジアのこと、貧困や教育の問題、支援活動のニュースが、今は私の心を揺さぶります。世界中の誰もが未来への希望を語れるよう、国連の活動への参加をはじめ、着実に実践を重ね、強力なマンパワーに成長したいと思います。