中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

平成21年度

「寺子屋キャラバン」学校訪問

「ユネスコ世界寺子屋運動」が今年20周年の節目の年を迎え、これを記念して、運動が展開されてきたアジアの国々から関係者を招聘し、「寺子屋キャラバン」として、現在日本各地への訪問が実施されています。その一環として当地へはラオスからの訪問が決定し、11月12日(木)午前中、本校生徒との交流会が実現しました。
当日の交流会にはラオス人1名と東京本部事務局担当者(通訳)1名、さらに当岩国協会の関係者2名の計4名が合流され、本校の教育方針の一つであるまさに国際人の養成にちなんだひとときを生徒達は共有することができました。

寺子屋キャラバン」学校訪問1 寺子屋キャラバン」学校訪問2 寺子屋キャラバン」学校訪問3 寺子屋キャラバン」学校訪問4 寺子屋キャラバン」学校訪問4

ラオスの贈り物六年制普通科2年3組 環野 真紀

私は今回、「ユネスコ世界寺子屋運動」の二十周年を記念して行われた、「寺子屋キャラバン」に参加しました。本校にはラオスの寺子屋卒業生、アディソン・シラボンさんがいらっしゃるということで、学年全体でラオスや寺子屋運動についての事前学習、プレゼントの準備をして当日を迎えました。
練習したラオス語での挨拶、歓迎の歌の後、アディソンさんのラオスと寺子屋運動についてのプレゼンが始まりました。ラオスでの寺子屋運動では、より快適で多くの子どもたちが学習できる校舎が建設されたり、図書室に本が送られたりと、日本と現地の職員の方々が協力して活動されていました。
アディソンさんは、日本についてよくご存知で、日本語も上手に話されていました。貧困層の多いラオスで、日本の団体が教育を広め、その卒業生との交流が実現され、私は教育の大切さと、国際交流の素晴らしさがよく理解できました。大変貴重な経験の機会を与えてくださったことに感謝しています。

立志

立志二年一組 星出 諒太

  「立志」それは目標を定めて、それを成しとげようと決心すること。すなわち、将来の夢を実現させるために努力するということです。僕の将来の夢は、中学校の教師になることです。なぜかというと、色々な先生方の働く姿を見てとても憧れを持ったからです。僕の学校の先生方は、ユーモアも交えながら、とても分かりやすく授業を教えて下さいます。それに、僕の父も中学校の教師をしています。夕食の時などに色々と学校の話を聞いていくうちに、「僕も中学校の教師になりたい。」と、思うようになりました。
  立志の作文を書くにあたり、「夢を実現するためには、今の自分は何に一生懸命取り組めば良いのだろうか。」と考えました。考えた結果、三つのことを見つけました。一つ目は「勉強」です。子供たちに勉強を教えるわけですから、自分も勉強する習慣を身につけておかなければいけません。また、正しい勉強の方法も身につけておきたいと思います。分からない問題は分かるまで何回も解き直すなどの工夫も必要だと思います。どうしても分からない問題があった場合には、先生方や友達に聞くことがとても大事だと思います。二つ目は「部活」です。部活では、体力をつけるとともに、厳しい練習を乗り越えることによって、強い精神力を培うことができます。また、チームメイトとコミュニケーションをとることによって、仲間との強い絆が生まれると思います。僕達のチームは、まだ公式戦で勝っていません。ですが今、チームメイトと共に練習に励んでいます.まずは、公式戦初勝利を目指してがんばりたいです。三つ目は、今年から始めた「生徒会」です。僕達の生徒会は冬休みの三日間、「国立山口徳地青少年自然の家」という所にリーダーセミナーを受けに行きました。ここでは、グループでの課題解決や合意形成の方法を学ぶことにより、コミュニケーションやリーダーとしての資質を高めることが出来ました。この経験は、今後の生徒会活動できっと役に立つと思うので、しっかりと頭の中に入れておきたいと思います。僕は、「生徒会書記」という仕事についています。この仕事は、あまり目立たないけれど、生徒会長や副会長をしっかりとサポートしていく大切な役割です。そして、一年間という短い期間ですが、僕も色々なことで迷ったり、悩んだりすると思います。そのような時は、生徒会長や他の執行部員と共に協力して様々な課題に取り組み成功させたいです。
  また、僕は中学校の先生に必要なものが二つあると思います。一つ目は「責任感」です。自分のクラスで気分が悪くなった生徒が出たら即座に判断し早急な対応を心掛けなければいけません。保護者への連絡もしっかり行わなければいけないでしょう。二つ目は「親しみやすさ」です。僕の父親は、話せば楽しい人なのですが、眉間にしわを寄せているので、一見すると気難しく感じます。僕が教わっている化学の長谷川先生は、いつもニコニコしていてジョークが面白い先生です。しかも教え方は完璧で、生徒からの人気も抜群です。僕は長谷川先生のような親しみやすい先生になりたいです。そうすることによって、生徒に楽しく授業を受けてもらえると思います。
  僕は将来「教員養成系」の学部へ進学し、教職についての心構えなどを学びたいと思います。でも、そのためには人一倍努力をしなければいけません。だから、生活面と学習面の両方をしっかりとする必要があると思います。生活面でいうと、例えば規則正しい生活リズムで生活する、具体的には「おはよう」、「こんにちは」や「こんばんは」などの挨拶をすることです。そうすることにより、ともてスッキリとした気持ちになれるはずです。学習面では、先生が黒板に書かれたことだけでなく、口でおっしゃったこともノートにメモしておくようにすることや、宿題だけでなくそれぞれの教科での復習や予習もするなどです。このように少しずつの積み重ねで、大きなとても価値あるものになると思います。まさに「塵も積もれば山となる」です。
  夢を実現させるために一日一日を大事に過ごしていき、自分の人生に誇りの持てるような人になりたいです。

未来の私二年二組 濱岡 香帆

  最近、よく考えることがあります。それは「未来の私」についてです。中学校二年生になるまでは、そんなことを深く考えたことがありませんでした。小学校六年生のとき、卒業文集で将来の夢について書くことがありました。そのときに書いた夢は「保育士」でした。でもその夢は、きっとあいまいな気持ちで書いていたと思います。今、その半端な気持ちで書いていた夢は、本当の将来の夢へと変わっていました。
  なぜ保育士になりたいのかというと、子供が好きだというのが大きな理由です。それに、もしも自分が結婚したとして子供ができたら、そのときは保育士の仕事がとても役に立つと思います。
  私は夢を持つだけで、どうやったらなれるのかだとか、そんな肝心なことを忘れていました。そこで、ある雑誌を読んでいました。すると、進路ナビというのがあり、将来就きたい職業についての特集がありました。いろいろな職業の名前がある中、その中に保育士があり、さっそく見てみました。そこには、保育士のなりかたや仕事の様子、実際に保育士として働いている方のインタビューなどがありました。印象としては、かなり体力のいる仕事だなと思いました。保育士の方は、「子供が好き、人が好きなことが、何より大切な仕事です。毎日ヘトヘトになるけれど、子供たちの成長を間近で見られるのが、うれしいし何よりの幸せなんです」と言っていました。このコメントを読んだとき、なんだかこの方がとってもカッコ良く思えました。私は人が嫌いということはないですが、どちらかというと無口な方です。それに反応が薄くて会話もすぐ終わってしまいます。こんな私で本当に大丈夫なのだろうかと不安に思うこともあります。でも、子供が好きという気持ちはあります。だから、あきらめないようにしようと思いました。
  まず保育士になるには、保育士を養成する学校などで勉強するのが一般的で、そこを卒業すると同時に免許がもらえるそうです。そして入社試験を受けなければなりません。とても地道ではありますが、やってみるしかありません。また何年かすれば将来の夢が変わってくるかもしれません。それでもいいかなと思っています。とにかく、自分がやりたいことを見つけたいです。
  さて、題にもある「未来の私」という言葉ですが、未来の自分を想像したことはありますか?私は正直言ってありませんでした。想像していると、どんどんマイナスの方向へと考えてしまいそうだからです。つまり、怖いのだと思います。でも、怖がってばかりいても前に進めません。だから、想像してみました。結構おもしろかったりします。
  私は生徒会に入りました。最初はやる気はなかったし、ギリギリまでずっと悩んでいたままでした。けれど、生徒会に入ったら自分の何かが変わると思いました。自分の内気な性格も少しは変わると…。そしてたくさんのチャレンジをしました。その中でたくさんの大切なことを学びました。仲間との協力、勇気、思いやり…。チャレンジの時、自分の考えや意見を相手に伝える、積極的にチャレンジするという目標がありました。この目標は、きっと私が大人になったときにも必要なことだと思います。生徒会に入って何かが変わるかもしれないという予感は当たっていました。「積極的」という言葉は自分には縁のない言葉だと思っていました。でも今の私は違います。生徒会に入って良かったと思うし、そこでまた違う自分に出会えました。あと中学校生活も残り約一年、この目標をいつも心がけていきたいです。
  この「立志」という言葉を聞くまでは、将来の夢もぼんやりと頭の中に思い浮かべるだけでした。それに、「未来の私」についても考えたことがありませんでした。この作文を書いているうちに、今までの自分を見つめ直すことができました。そして、将来の夢へと一歩踏み出せたと思います。

立志二年一組 弘實 紗季

  今から六年前、私が小学二年生だった頃、外国ではサーズという病気が大流行していました。サーズは、世界保健機構の発表によると世界の二十八か国に広がり、多くの死者を出した恐ろしい伝染病です。まだ、小学二年だった私にとって、サーズの存在をニュースで初めて知ったときは、すごく衝撃を受けました。そして、そのころから私は少しずつ、医療への関心を持ちはじめました。小二のころの私は、そのサーズという病気の存在を知ってから、自分がもしサーズになってしまったらどうしようと、毎日不安で仕方ありませんでした。
  それから、サーズという病気が世界でだいぶおさまってきたころ、小二の私はあるテレビ番組で、癌という病気を知りました。その番組は、小児癌と懸命に闘う子供とその家族、そして医師たちのお話でした。これを見て小二だった私は、最後まであきらめずに治療に専念した医師たちの姿を見て、すごく感動しました。この頃から私は、医療従事者に憧れを抱くようになりました。
  中二になって、頻繁に立志という言葉を聞くようになり、自分の将来について真剣に考えるようになりました。そこで、私の頭の中に浮かんできたのは、医者という文字でした。
  医者という職業は、難しいけれどとてもやりがいのある職業だと思います。人の命を扱う仕事なので、責任を持って働かなければいけないし、労働時間が長いので体力も必要です。でも、なにより大切なのは、根気だと私は思います。医者になるにはまず、医学部に合格しなければいけません。合格したら今度は医学部をちゃんと卒業し、医師国家試験に合格して、いろいろと経験を積んで、やっと立派な医者になることができます。ここまでくるには、相当な努力が必要だと思います。そこで、今私が一番すべきことは、第一段階である医学部合格のために、頑張って勉強することだと思います。医学部に合格できるように、毎日コツコツと努力して成績を上げていこうと思います。
  今、医療は日々進化し続けています。それと同時に、新しいウイルスが生まれてきています。去年、世界中で大流行した新型インフルエンザもその中の一つです。それなのに日本では医者不足が問題となっています。医者が不足してしまい、将来病気になったときに、誰もみてくれる人がいなくなったら大変です。医者不足の原因として、裁判で訴えられたときにめんどうくさいからという理由をよく聞きます。悪い意味でとらえると、そうなるかもしれないけれど、良い意味でとらえれば、人の命を救う仕事でもあります。人の命を救ったときは、絶対に喜びは大きいはずです。
  私は、癌という病気がいつか風邪のようにすぐ治るようになってほしいと思っています。癌は日本人の死亡原因第一位の病気です。癌は、大人から子供まで誰がいつなってもおかしくない病気です。末期癌で余命を宣告された人、小児癌で苦しんでいる子供たちや、私と同じくらいの年の子で癌で苦しんでいる子がいると思うと、胸が痛みます。癌になると、抗がん剤治療や手術などと苦しい治療をしなければなりません。なかでも抗がん剤治療は、副作用により髪の毛が抜け落ちたり、高熱やひどい吐き気、頭痛などとても苦しい治療です。将来、医学の進歩によって抗がん剤治療などをしなくても、簡単に治せる病気になってほしいです。私は一日でも早く、癌が苦しまなくてもいい病気になるように、これから医療に関する知識を深めていきたいです。
  もし将来、私が医者になれたのなら、患者さんや患者さんの家族の気持ちを一番に考えられる医者になりたいです。患者さんが一日でも早く元気になれるように、全力で治療してあげたいです。まだどこの専門医になるかは、はっきりと決めていないけれど、何があっても最後まであきらめずに責任を持って頑張りたいです。

ユネスコユースセミナー感想文

人との繋がり六年制普通科2年 吉本康貴

僕が選んだ第3分科会、「異文化について知る」では当日までにやってくる課題が出ました。それは、『あなたが一番日本らしいと思っている物思える事』を準備してくることでした。僕は和洋折衷の考え方が日本らしいと思って初日の意見交換で発表しました。同じ分科会の参加者から、「能」・「トイレの音の出る機能」・「目で楽しめたり小皿にちょっと乗せたりしている日本料理」・「ついつい譲り合ってしまう所」などが出ました。
ここでの発表には、ゲストとして招いた海外の留学生たちにも見解を求めていきました。僕たちの考えた「日本らしさ」は、留学生から見るとどれもこれも日本らしく見えるということでした。しかしその後留学生たちが発表した『日本らしい所』が能や歌舞伎など伝統文化ではなく、野球や科学技術、パチンコ屋の多さなどだったことが、とても意外で印象に残りました。 
2日目は初日にまとめておいた模造紙を使って、一般の人を招き、ステージの上で発表しました。僕はあがり症のため人前でしゃべるのが苦手でしたが、大学生の人たちが色々カバーしてくれたりしたのでずいぶん助かりました。
今回セミナーを通して異文化についての理解が深まったというのも勿論ありますが、人との繋がりや助け合いについて学べたことがよかったと思います。

「さかさ」体験六年制普通科2年 弘中寛之

ユースセミナーはとても充実したものでした。
  ユースセミナーでは5つの分科会に分かれて、それぞれ決められた内容について話し合いました。私は、「人とのつながり」とは何か、について話し合いました。ユースとして今回参加した方々は、高校生から30代の方までかなりの年齢差がありました。だから初めは、この年齢差や経験の差を意識して、自分の意見もちゃんと言うことができませんでした。しかし、話しているうちにだんだんと打ち解け、意見が言えるようになりました。
  話してみて一番印象に残ったことは、年齢によって思うことが違うということです。たとえば高校生は、「健康」や「生きがい」を重要な要素と考えていましたが、意外なことに大学生はそれほどでもなかったことです。違いが生まれるのは当たり前のことかもしれませんが、その違いを大学生たちと直に話をして感じることができたというのが新鮮で、私にはおもしろかったのです。
  こういった違う意見を持つ違う年代の人たちと集まって話し合えたことは、このセミナーを通して一番プラスになったことだと感じています。「さかさ」をキーワードに「発想の転換」を今回のテーマにしていましたが、私にとっての「さかさ」はこの経験の中にあったと思います。

考えを深める六年制普通科2年 弘中優子

私は今回のユースセミナーに参加するまで、臓器移植について上辺のことしか知りませんでした。確かに臓器移植法のことや海外渡航移植について聞いたことはあっても、詳しいことは分かりませんでした。
参加してみて、移植コーディネーターの方や実際に腎臓移植をされた方のお話を聞いて、新しい発見ばかりで、深く考えさせられました。私は最初ただ単に、多くの人に正しい知識を持ってもらって、臓器提供の意思表示をしてもらえればいいことだと単純に思っていなした。しかし、実際、自分が脳死状態の患者の身内だったら、機械を使ってはいても、心臓が動き、呼吸をしている家族の臓器を提供できるかと考えると、すぐには答えられません。
また、私は分科会の中で3つに分かれた内の、海外渡航移植というテーマで意見交換などをしましたが、その中で、日本の患者が助かる代わりに海外の移植手術を待っている患者のチャンスを奪ってしまうということなどの問題を初めて知りました。どのようにすれば一番いいと、一概に言える問題ではないけれど、日本は技術面では他の先進国に決して劣ってはいないので、国内でどのようにしたら臓器移植手術の需要に応えていけるのか、私はもっと考えたいと思います。

ユネスコユースセミナー2009 ユネスコユースセミナー2009

サマーセミナー感想文

WALL2年2組 重田 真輝

 サマーセミナーで一番楽しかったのはやっぱりTAPです。色々な問題を班のみんなで解決するのは楽しいし、なにより夏休みに入って全然動かしていなかった体を動かせたのはとても楽しかったです。
  TAPの中で一番面白かった、また大変だったのはWALL(けっこう高く、足がかりも何もないまっさらなカベをみんなで力を合わせてよじ登ります)です。何も足がかりがないから一人では絶対よじ登れないし、肩車をしても届きません。結局、肩車の応用バージョンみたいな変な格好で一人目を上げる事になりました。一人目、二人目を無事に上げ次は私の番になりました。下から眺めているのはそんなに大変そうではなかったけど実際自分の番になって上げてもらうと想像以上に高く本当に泣きそうになりました。キーキー騒いでしまいました。とうとう下で支えてくれている人が手を離しました。あとはカベの一番上の台で待ってくれている先に上がった二人に引き上げてもらうだけです。なかなか私の体は上がらず、二人には迷惑をかけてしまいました。でもきちんと私の体も上がりました。上からの景色は、上げてもらっている途中は高くて恐いだけの景色が、とてもキレイに映りました。
  WALLに挑戦する前は、どうやって登るのだろう、登れるのかな、と思っていたけれど上がった後は周りの景色がとても綺麗に映りました。自分の周りにある様々な問題もWALLと一緒で大変、恐い、疲れそうなどを乗り越えたらみんなキレイに見えるのではないかな、と思いました。

WALL

激落ちくんパパ2年2組 石原 瞭

 僕がサマーセミナーの中で一番楽しかったのは最終日の野外炊飯です。僕たちの班は豚汁をつくりました。
  まず、具材を切りました。包丁は2つしかないので、僕は皿を洗ったり、しめじの株を分けたりしました。K君はすばらしい包丁さばきで、まるで白鳥のように大根を切っていきました。N君はイマイチでした。
  次に肉をいためました。僕は指を火傷しちゃいました。5分後には復活しました。しかし、肉をいためたときにとびちる油はまさに「武器」でした。
  そのあとは無事に米をたき、野菜をにて、お茶をわかし、完成しました。
  僕は豚汁の「豚」があまり好きではなく「汁」が飲みたかったのですが「豚」も食べることにしました。おいしかったです。けっこう高評価でした。
  しかし、問題は後片付けです。なべにはたくさんの敵(=すす)がついています。それにたちむかう僕たち。人類vsすすです。
  そこでぼくたちが用意したのは「激落ちくんパパ」です。激落ちくんではなく、パパです。激落ちくんパパは人類の期待を裏切らず、みごとにすすをノックアウト!!無事に後片付けは終了しました。ありがとう激落ちくんパパ!!
  こうして野外炊飯は無事終わったのでした。

「激落ちくんパパ」 2年2組 石原 瞭

2年3組 若本 里菜

 八月七日サマーセミナー始まり。天気はかんかん晴れで風もあって最高です。最高の天気からスタートしたサマーセミナー。私の一番の思い出になっているのが初日のオリエンテーリングです。三組の女子九人で力を合わせ、一生懸命ポスト探しを頑張りました。一枚の地図を頼りに、坂を登ったり、雑草の多いとこを通って、辛い時は皆で手を貸しあって次へ次へと見つけていきました。見つけたときのあの嬉しさは忘れられません。もう、皆でハイタッチです。九人がそれぞれ意見を出し合い、それをまとめ、そして実行にうつして、暑い中もくもくと歩いて見つけました。皆が意見を出さず、まとめる人もいない、実行にうつさない、これでは一つも見つからないと思います。皆が一つになってやらないと何に関してもできないと思います。私達三組六班は、今までに学んできたことを、このオリエンテーリングに生かし、協力してたくさん見つけることができました。皆で暑さを忘れるくらい楽しくできました。やっぱり人間や動物はこうやって支え合って生きているんだなと、改めて思いました。
  たくさん蚊にさされ、暑い日ざしに負けないように一生懸命頑張った三日間、本当に一生忘れることのない思い出となりました。そして、友達との絆も深まりました。
  この三日間で学んだこと、意見をはっきり言い実行する。そしてあらためて協力し合うことの大切さを学びました。この学んだことを、今後の学校生活、部活に生かしていきたいです。

「絆」2年3組 若本 里菜 「絆」2年3組 若本 里菜