中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

平成25年度

第44回「立志の日」作文発表大会 優秀賞

人の笑顔が幸せ付属中学校2年 松永 希子

 私は中学二年。十四歳。立志を迎えます。自分としてはまだまだ精神的にも未熟なので、立志という言葉はほど遠いものと思っていました。しかし、実際その年齢になった今、世の中を良くするために自分が何をすべきなのかをしっかり見据え、自分自身と向き合わなければならないと思います。真剣に将来の夢や目標を考えなければならない年齢になり、改めて立志の大切さを感じています。
私の将来の夢は、まだはっきりしていませんが医療関係の仕事に就きたいと考えています。実は、遠方にいる私の祖父が病気で身体が思うように動きません。食事や着脱、入浴などにも時間がかかります。それでも、リハビリを兼ねて自分一人で体を動かそうとしています。しかし周りの手助けが必要な時もあります。私は帰省の時しか会えないけれど、手助けをしたいといつも思っています。ささいなことでも祖父の助けになるのならやってあげたいのです。そしてある日、祖父が車から降りる際に大変そうだったので、私は両手で体を支えて一緒に降りました。すると祖父が笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。その笑顔を見ていると、私はとても嬉しくなりました。誰かの役に立つことでこんなにも喜んでくれるのだ、と幸せな気持ちになりました。祖父のように体の弱い患者さんを助けてあげたい、そして元気になって喜んでいる姿を一人でも多くみたい。それが私の喜びでもあり、医療の道に進みたいと考えるようになった理由の一つです。
また、祖父と接している時に、ふと頭の中をよぎったことがあります。それは、小さい頃から大好きだった「アンパンマン」のことです。アンパンマンはお腹をすかせた人がいると、頭をちぎって食べさせてあげます。自分を犠牲にしてまで相手に喜びを与えることができるのです。なんて勇気があって優しいのでしょうか。アンパンマンには作者・やなせたかしさんのメッセージが込められているのです。ある新聞でやなせさんの言った「人の喜びが幸せ」という言葉を知りました。私はこの言葉に感動し、胸を打たれました。やなせさんのように勇気や優しさ、喜びを多くの人に届けられる大人、そして社会人になりたいと思います。
さらに医療の道に関心をもったのは、二年ほど前に京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞でノーベル賞を受賞されたことです。岩国で、京都大学iPS細胞研究所の沖田圭介先生が講演され、聴きに行きました。中一の頃だったのでかなり難しい内容でしたが、映像や図・写真を見せていただきながら分かりやすく説明していただきました。iPS細胞は万能細胞とも言い、簡単にいうと体のどんな部分の細胞にもなれるのです。そのことに驚きと強い興味を持ちました。一日も早く祖父や病気で苦しんでおられる方々の治療に役立ってほしいと感じました。そして、ぜひいつか自分もそういう医療に携われるようになりたいです。
ところで、私は今までいろんなことを経験してきました。やり遂げたこともありましたが、できなくて悔し涙を流したこともたくさんありました。やり遂げた時は、努力が実り達成感を味わうことができました。一方、できなかった時は、愕然として、何も考えられなくなってしまいました。でも周りの人から助言をいただき「結果だけを見るのではなく、目標を達成するために精いっぱい全力を尽くしてきたこれまでの過程が大切だ。きっといろんな面でプラスになり力の源になるだろう」と気付かされました。「次は絶対やってやる」という強い意志を持てたと思います。また、辛く苦しかった経験をただの思い出にするのではなく、それをバネにして、次のステップへ飛躍することができました。これからもっと困難に立ち向かう場面が多くあると思います。しかしチャレンジ精神を大事にし、失敗を恐れず、自信を持ち、どんなことも乗り越える力をさらに身につけていきたいです。
今、私はピアノと英会話を習っています。将来医療の仕事に就くことができたら、体の治療はもちろんですが、心のケアもできたらいいな、と思っています。ピアノを演奏して、患者さん、そしてその家族の方々の心を癒してあげたいし、英語を通して異文化にも触れてもらいたいです。それも私の夢です。
「立志」を迎えて、自分なりに未来についていろいろ考えるようになり、学ぶことも多くありました。少しですが、大人への階段をのぼり始めたような気もします。これから夢に向かって、一歩ずつ一歩ずつ進んでいきたいと思います。みんなの笑顔に出会うため…。

付属中学校2年 松永 希子

JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2013

「JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2013」で、六年制普通科1年生那須浩子さんが、「青年海外協力隊山口県OB会会長賞」を受賞しました。 本コンテストは、次の世代を担う全国の中学生・高校生を対象に、開発途上国の現状や開発途上国と日本との関係について理解を深め、国際社会の中で日本、そして自分たち一人ひとりがどのように行動すべきかを考えることを目的として実施されてきました。今年で中学生の部は18回、高校生の部は52回を数え、中学生の部44,289点、高校生の部28,964点、総数73,253点の応募がありました。

思いやり六年制普通科1年 那須浩子

私は幼稚園のころからアメリカ人の先生に週一回英会話を習っています。その先生は長年日本に住んでいますが、「ありがとう」や「こんにちは」などの他、最低限必要な単語しか話すことができません。その先生が最近引越をしたり、病気で手術を受けたりしました。引越しや手術の手続きは私たち日本人でも苦労するのに、日本語があまりできない先生がどうして全て終えることができたのか私は不思議に思いました。
あるレッスンの日に一人の男性が先生の家にいました。その人は先生の主治医で、足が悪い高齢の先生を心配して様子を見に来ていました。後で私は「日本語があまりしゃべれないのに、どうして先生は引越や手術をすることができたの」と訊きました。すると「今来てくれた医者が手続きの説明を英語に訳してくれたり、多くの家を探して紹介してくれたり、たくさん手伝ってくれたのよ。とても助かっているわ。」と言いました。「他にも外に出られない私に代わって買い物をし、わざわざ家に届けてくれる人もいるし、あなたも私の代わりに電気・ガス・水道代をコンビニへ行って支払ってくれているじゃない。私は毎日周りの人々に支えられて生活できているから幸せよ。」と言ってくれました。私が今までやってきた些細な事が先生の幸せに繋がっているのだと思うと、とても嬉しかったです。
今年の夏、私はアメリカへホームステイに行きました。着いて間もなく体調を崩し病院に行く事になったのですが、家族のいない異国の病院で検査を受ける事がとても不安でした。しかし現地に住んでいる日本の方が側につき、いろいろ手続きをして下さいました。他にも病院の医師や看護師は不安になっていた私に優しく接してくれるし、ホストファミリーは私が食べられそうな食事を考えてくれるし、みんな親切でした。自分の家族でもないし、出会ってそんなに時間が経った訳でもないのに周りの人は私にとても優しくしてくれ、そんな人たちに会えてよかったと心の底から思いました。
アメリカから帰り、七月に起こった記録的な豪雨による被災地の萩市へ災害ボランティアとして行きました。現地に着き、まず目に入ったのが河川の氾濫や土砂崩れで被害を受けた町でした。そして、そこには山口県以外のナンバープレートの車がずらりと並んでいました。各地から集まったいろいろな年代の人たちと一緒に協力できた上に、現地の人から温かい料理のもてなしを受け、逆に元気をもらえました。作業が終わった後も「わざわざ遠い所からありがとう。災害が起こって大変な状況だけど、こうやって多くの学生さんや周りの人が助けてくれるから私たちは幸せ者です。」と言って頂きました。
英会話の先生から聴いた幸せと、私がアメリカへ行って経験した幸せ、これはどちらも周りの人々の思いやりによって生まれた幸せだと思います。そして萩のボランティアに行って、それらの幸せは人から人へと繋がるものだということに気づきました。私たちが相手にできることは限られていますが、私たち一人一人が思いやりの気持ちを持っていれば醜い争いや戦争、紛争がこの世からなくなっていくと思います。そして、思いやりの輪が広がっていけば小さな幸せから大きな幸せになり、いつか日本や世界の幸せに繋がっていくのではないかと思います。

六年制普通科1年 那須浩子

第20回高校生による国際交流体験感想文コンテスト

国際協力で必要なこと六年制普通科1年 奈良勇輝

「ウィーアーブラザー」私がカナダ人の友人と合言葉のように使っている言葉だ。 私と彼が出会ったのは、今年の春、私の学校に国際交流できて、我が家にホストブラザーとして迎えた時だ。彼はセントアルバータという所から来ていて、とてもフレンドリーで、出会ってすぐに仲良くなれた。お互いにアメリカンジョークを飛ばしあって笑っていた。とても楽しい時間だった。
私は、彼と一緒に生活していく中で、3つ大きなことを学んだ。
1つ目は、自分の事、自分達の国のことを知り、その事に誇りを持って相手に伝えるということだ。学校内でのプログラムで、クールジャパンとクールカナダについてカナダの交流生と話し合う機会があった。そこでは、お互いの国の文化、歴史について語り合い、相手の国のことをよく知ることができた。相手の国の話を聞くだけでなく、自らも主張し、お互いに発信することが非常に大切だと思った。
それにはまず、自分達の事についてよく知っておかなくてはならない。カナダの生徒達は、すばらしかった。質問タイムで、私がカナダの国旗の由来を尋ねた時、ほとんどのカナダ生達が挙手して答えようとしてくれた。それほどまでに愛国心があるのはすごいことだと思う。そのような国は、何か大きな困難が降りかかっても1つになれる強い国だと思う。日本も見習うべきところだと思った。
私はその話し合いの最後に先生が言われた言葉が今も心に残っている。
「相手のことが知りたいなら、まず自分を知りなさい。将来君達が世界で活躍できる人間になりたいならば、自分の国に誇りを持ち、文化を大切にしなさい。そうすれば信頼される人になれる。」と。
確かにその通りだと思った。自身を持って自分のことを語れる人になりたい。だから、私は自分の事や日本のことについて、より詳しく話すことができるようにきちんと勉強しようと思う。
2つ目は、相手の話をきちんと聞くことだ。相手のことを理解できなくては何も始まらない。私は、今回の交流で、なかなか相手の話を聞くことができなかったと思う。カナダの交流会に向けて英語をかなり勉強したつもりだった。しかし、実際彼らが話す英語は学校で習うだけの英語では太刀打ちできなかった。
そのような中でもお互い理解し合おうと、ジェスチャーや電子辞書をフル活用して頑張った。お互い伝え切れない事も多かった。しかし、相手の心は伝わった。お互い一生懸命だったからか、不思議な事になんとなく言いたい事は伝わってきた。
しかしわたしは、伝わったから良かった、ラッキー、では終わらせたくない。やはり、この気持ちを忘れずに、英語できちんと話ができるようになりたい。雰囲気だけでは、相手を理解したとはいえない。もし私が学校のカナダ派遣団に選抜されれば、さらに英語を勉強して、カナダに行った時に、真の国際理解ができるようになりたい。
3つ目は、もっと積極的に、フレンドリーになる事だ。カナダ人の彼にこう言われた。
「なんで日本の高校生はこんなにシャイなんだ。チャンスをたくさん逃してしまっているとは思わないか。」 私はこう言われて、その言葉が心に刺さった。確かに、○○したい人、と言われても日本の高校生はなかなか手を挙げることができていない気がする。それに比べカナダ生たちは、我こそはと、手を挙げていた。国民性の違いはあるにしろ、多くのチャンスを逃しているのではないかと思うようになった。
日本人はシャイだと色々な所で耳にする。私は「シャイ」はほめ言葉ではなく、むしろ悪口のようにも聞こえる。「シャイ」な事は良い事ではなく、自らの可能性を潰してしまいかねない1つだと思った。
そこで私は、積極性を身につけたい。すぐに身につけられる事ではないし、初めのうちは恥ずかしいかもしれない。しかし、私は自分の可能性を潰したくない。
今回のカナダ人高校生との交流で多くのことを学び、また、新しい兄弟も作ることができた。本当に中身のある交流だったと思う。ここで学んだ事を忘れず、今後にも生かしていくつもりだ。

六年制普通科1年 奈良勇輝

ユネスコスクール高校生ESD 作文コンテスト

六年制普通科2年生 好中奈々子さんは、以下の作文により、 「第4回ESD国際交流プログラム」への参加者に選抜されました。

課題作文 『持続可能な社会を目指して、私にできること』六年制普通科2年生 好中奈々子

私には忘れられない日がある。中学2年の文化祭最後の企画は、坂本龍馬がタイムスリップしてきたという創作劇だった。現代社会は、いじめ、不況、環境問 題、貧困、戦争…、様々な課題を抱えている。それに気づかないふりをし、それでも豊かな生活を享受する私達に、龍馬は、「これが真の幸せちゅうもんか?平 和ちゅうのは何ぜよ?」と問う。劇が終盤にさしかかったとき、龍馬役の生徒会長がステージから降り、私達の肩を叩きながら、「皆で頑張ろうやぁ。」「なん でもええんよ。考えちょるだけじゃなくて、行動に移そうやぁ。」そう呼びかけて歩き始めた。ひとりひとりに声をかけて歩く生徒会長の姿に、胸がいっぱいに なった。同時に私はこれまでの自分を恥じていた。
皆がまとまらないと、「自分だけが頑張ってもどうしようもない。」と諦めていた。そのくせ、心のどこかで人と競争して勝つことがいいと思ってい た。人任せで、自分中心の私。だから国際問題なんて新聞やテレビの中の出来事で、深く考えたことがなかった。それなのに、なぜ先輩は私達を励ましてくれる のだろう。先輩のようになりたい。そんな思いに突き動かされて、生徒会活動や先輩方が取り組んでいるユネスコの活動を始めた。
ユネスコ部の活動は、福祉施設訪問、災害ボランティア、私達が「お山の学校」と呼んでいる里山再生活動、地域活性化、異文化交流、ユネスコキャ ンプへの参加や模擬国連など、幅広い。活動は強制でなく、あくまでも自主的で自由だ。皆で貝掘りに行ったり、地域の運動会に参加したり、外国の方と料理を 作ったり、「楽しい活動ばかり…」と、のんきな私は思っていた。
ところが、後になって環境汚染とは全く無縁としか思えない海に採取規制がかけられ、保護されている海洋生物がいることを知り、それが環境学習で あったことに気づくのだった。自分が知ろうとしなければ、何も得られない。誰かが何かしてくれるのを待っているのでは、これまでと変わらないのだ。自分の 目で、耳で、意思で学ぶ、厳しいけれど、これは本物の勉強だった。
この学びの中で、私がはっきり感じとったことがある。それは、「つまり、人だ」ということだ。
キャンパーとして参加したユネスコ子どもキャンプで学んだのは、年齢も考え方も違う仲間を受け入れる心や人と関わって生きていくことの大切さ だった。スタッフとなった昨年は、人と人を結びつける難しさも楽しさも味わった。福祉施設訪問では人に喜んでもらえることが自分の喜びにもなること、異文 化交流では違いを互いに認め合うことを学んだ。そしてお山の学校では、人と自然が共生していく必要性を感じている。また、地域や社会の問題について考える 時、経済、エネルギー、環境など原因は様々あるが、問題にしなければならないのはそれらに関わっていく「人」ではないかという結論に、いつもたどり着く。 貧困もエイズも環境問題も、当事国の人材を育成すれば済むわけではない。解決にむけて関わっていく「人間」を育てる「教育」こそ、遠回りのようではあるが 解決の王道のように思える。世の中の問題は、競争ではなく協力がなければ解決はできないのだから。あの日文化祭で先輩が「一緒にやっていこうな。」と呼び かけた言葉は、「共に生きていこう。」というメッセージだったのだと、今はわかる。
この「共生」というキーワードとともに、私は「持続可能な社会」という言葉によく出合うようになった。あの日の私はグローバルな視点に驚いたけ れど、「持続可能な社会」は、次世代に視点におき、ヨコだけでなくタテに、未来と「共生」していく社会である。次の人のことを考えて生きること、それは 「愛」以外の何ものでもない。
ユネスコの活動を始めて3年目になる今年、私はユネスコ部の部長となり、部員も学校一の大所帯となった。先輩方の長年の活動が実を結び、高水中 学校・高校はユネスコスクールに認定され、5月にはユネスコスクール初の仕事として、外務省が推進するKAKEHASHI Project でカナダの学生との学校交流を行った。ホームステイ後のパーティーでは皆が涙を流して別れを惜しんだ。相変わらず、のんびり屋の私は、いつも周囲に助けら れながら活動をしている。大勢が何かをするのは、大変だ。けれど楽しい。ユネスコの活動は、仲間と共に生きることを学ぶ場である。そして新しい自分と出会 う場でもある。私の中の小さな点が、少しずつ繋がりをもって感じられるようになってきた。
ところで、高水のユネスコスクールとしての活動はまだ始まったばかりだ。私に何が出来るだろうと思う。それは、私がかつて先輩から励ましても らったように、みんなに「一緒にやっていこうね。」「皆で頑張ろうやぁ。」と声をかけていくことなのかと思う。将来に亘って「持続可能な社会」を実現して いくのは、やはり「人間」であり、「共に学び共に生きる仲間」を作っていくことしかないと思えるからだ。

普通科2年生 好中奈々子

スプリングセミナーで学んだこと

スプリングセミナーで学んだこと濵田 メイ

 私は、ふれあいパークに行って友達・協力・努力の大切さを直接体感できたと思いました。
まず最初に友達の大切さを知ったのが、山を登るときです。友達が手を引っ張ってくれたり、一緒に励まし合って登りました。
1日目、入所式後部屋に入ってみんなで遊んでいました。その時、男子の部屋の壁が倒れかかっていたそうです。その後のアクティビティでは、気持ちを引きしめながら、班のみんなで教え合って協力もできたと思います。
夕食後、先輩方にレクリエーションをしていただきました。ここでは楽しみながら友達と協力することを学びました。風呂で友達と1日を振り返ると、友達も増えて協力もできて、とても良い1日だったと思いました。 2日目の朝、6時30分起床なのに、私は30分も早い6時に起きました。でも私が起きた頃には、半分くらいの人が起きていてびっくりしました。そしてまた協力してふとんやシーツをたたみました。終わって周りを見てみると、とてもキレイになっていて朝からスッキリした気分になりました。でも、まだ完全にスッキリしていなかったのでラジオ体操で完璧にスッキリしました。
朝食を終え、9時から確認テストがありました。国語と算数を1時間で終わらせないといけませんでした。自分なりに全力を出し切ってがんばれたと思うので良かったです。
次にボランティア活動をしました。本当は草ぬきをするはずだったけど、私たち1組のJS班と2組のJS班の10人は、次に施設を利用する人のための薪割りをさせてもらいました。ここでは新しい体験もできたし、2人組で協力して薪割りができて、すごく良い勉強になりました。終わった後に手が薪の臭いがして、少しは人の役に立てたのかなと、うれしくなりました。その後、私の友達が私たちが割った薪を使ってカレーを作ったと聞いて、もっとうれしさが増しました。ボランティア活動の後の昼食は一層おいしく感じられ、完食しました。
そして退所式が行われて、下山しました。前の日よりも坂を下りるのが楽に感じました。ここでも車が来たら周りの人に協力して教えて避けたり、友達と声をかけ合ったりしました。由宇駅に着くと、何か達成感がありました。
私がスプリングセミナーで学んだ、友達と励まし合うことと協力して声をかけることと努力して達成感を味わうことはとても大切だと思います。女子だけ、男子だけではなく、クラスや学年全体が力を合わせて頑張らないといけないと思いました。
今回の体験を、今後の学校生活でも活かせるようにしていきたいと思います。本当に有意義な2日間でした。

「"始め"の一歩」

"始め"の一歩足利 美南

 スプリングセミナーを通して、予想していたよりも多くのことを感じ、学び得ることができたと思います。
私は入学する時、期待と多少の不安を持っていました。小学校の時の友達と離れ、少し寂しかったです。だから、入学して2週間たって少しずつ友達も出来ていましたが、このセミナーを通してもっと友達を増やしたいと考えていました。そして6年間通う高水のことをもっと知りたいと思っていました。
登山は小学校5年の時、ふれあいパークで2泊3日で集団宿泊に行っていたし、銭壺山にも何回か行ったことがあったので、少し余裕がありました。それに日程を見ると、食事などは全部用意して頂けるので、うれしかったです。
セミナーが始まると、今まで話したことがない人と話せたり、優しく接してくれたりしてうれしかったです。生徒会の先輩方も応援に来て、会を盛り上げて下さいました。すごく楽しくて、私も生徒会に入っていたら、先輩方のように後輩たちを楽しませてあげられたらいいなと思いました。
反省しなければいけない点もありました。女子全体で10分もみんなを待たせてしまったことです。時間をよく見て動くのは当たり前ですが、他の人に迷惑をかけてしまうので、待たせたりすることのないようにしないといけないと思いました。
気づいたこともありました。走り回らないことや食べこぼさないことなどルールやマナーなど当たり前のことをちゃんと普通にこなすことは、とても大切なことだと実感しました。
次に色々なことを教えてくれた人に感謝をするということです。スプリングセミナーができたのも、当たり前のようで当たり前ではないんだということを忘れてはいけないんだと思いました。
最後に、これからの目標は、これから6年間一緒に過ごす人達と良い仲間であり、みんなと競い合える良いライバルになっていく学年になっていけたらとてもうれしいです。もしかすると、ケンカなどをしたりするかもしれないけれど、悲しいことも苦しいことも全部、みんなで乗り越えていける、思いやりのある、元気のある、良い学年になっていけるまず「始めの行事」になったのではないかなと思います。
これから楽しい学校生活を送りたいです。